聞役の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 19:15 UTC 版)
長崎の蔵屋敷は幕末まで活動を続け、長崎で各藩が自由貿易を行うようになると、「商会」と改名して国産品を輸出し、艦船や鉄砲などを輸入した。長崎聞役も引き続き情報収集活動を行い、貿易にも従事した。 明治2年(1869年)3月、明治政府行政官は、「御用関係之儀もこれ無きに付」として聞役に帰国を命じるよう長崎府に通達した。長崎府判事楠本平之允と御用掛坂田諸之進は、3月晦日に諸藩の聞役を招集して通達を伝えた。この時をもって、長崎聞役はその役目を終えることとなる。
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