聞役組合と寄合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 19:15 UTC 版)
聞役達は長崎での情報収集のために、組合を結成した。定詰の6藩(福岡藩・佐賀藩・熊本藩・対馬藩・平戸藩・小倉藩)と夏詰の大村藩で1つの組合を作り、夏詰の長州藩・柳川藩・島原藩・唐津藩の4藩で別に組合を作った。薩摩藩と五島藩は定詰の時は組合に入っていたが、後に組合から抜け久留米藩と共に3藩で相互に助けあった。定詰と夏詰の違いは家格の違いのように考えられるようになり、定詰の組合に入っている大村藩の聞役を除いて、定詰・夏詰双方の付き合いは無くなっていった。 定詰の聞役組合は、情報交換や相互の調整を名目に定期的に会合を持っていた。定例の月次寄合は毎月下旬に行われるが、日にちは決まっていない。7月は、オランダ船関係の仕事で聞役達が最も繁多な時期のため開催されなかった。しかし、定例以外にも何か理由をつけて、あるいは理由が無くても会合が行われたため、その回数は月に数度に及び、しかも毎回必ず遊所に行った。江戸や京都・大坂に置かれた留守居役と同じであったが、いつも遊所へ行くというのは長崎のみで、しかも一緒に行かないと離席、つまり組合から除籍されるのも長崎聞役だけであった。離席を言い渡されれば聞役間での情報交換ができなくなり、これが原因となり、自身に落ち度がなくとも罷免されることもあった。高額な会合での費用は、本来は藩からの交際費予算内で落とす出費であるが、足りない分は自腹を切ってでも出席せねばならなかった。例えば、藩の上役から経費節減の命令があった、等として今後の遊所への同行出席を拒否しようとすれば、和を乱す者として他の聞役達から強い反発を呼ぶこととなった。
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