聞役と長崎奉行とは? わかりやすく解説

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聞役と長崎奉行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 19:15 UTC 版)

長崎聞役」の記事における「聞役と長崎奉行」の解説

長崎聞役は、長崎奉行にとって、人員少な奉行所業務補完するものであった長崎奉行は、西国諸藩触書伝達する際、本来は各地使者派遣する必要があったが、長崎諸藩聞役常駐するようになってから、触書諸藩への指示長崎警備当番藩(福岡藩佐賀藩交代)の聞役告げ各藩聞役伝達するようにと命じようになったオランダ船が入港した時、奉行所からはまず福岡藩佐賀藩聞役御達がある。次に島原藩平戸藩唐津藩大村藩聞役御達があり、残る8藩の聞役への伝達その後であった福岡藩佐賀藩交代長崎警備担当していることから、真っ先伝達された。島原藩島原の乱後の寛永16年1639年以来異国来航時には長崎出張し長崎奉行相談して警備に当たることになっていた。寛文9年1669年)に島原藩主が高力家から松平家に代わった際、唐津藩主が長崎警備に加わることになった大村藩領地接していることもあり、長崎とは密接な関係を保っていた。平戸藩長崎警備担当自認し藩主オランダ船の入湊・出帆時に長崎赴くことになっていた。このような家格が、4藩が福岡佐賀次に御達を受ける理由となっていた。 また、聞役国元からの連絡報告し伺・嘆願などを儀礼に従って奉行提出するという役目と、藩主国元からの使者奉行と会う必要がある時は、その約束取り付け奉行所出頭する時の案内をする役目もあった。 長崎奉行から特別な指示出されることや、長崎来航した異国船のことなど諸藩聞役知りたがる点については奉行所からの公式見解が示され必要に応じて国元への報告なども令達されることもあった。 日常的には、毎月始めに「月次つきなみ御礼」がある。これは、奉行への挨拶のため、奉行所出頭することである。毎月中旬には、「月次御見廻(おみまい)」として進物贈っていた。進物を渡す際には、国元からの書状持参することもあった。 長崎奉行江戸詰めのもう1人奉行1年交替長崎在勤勤めるが、新任奉行長崎到着する際には聞役達は新大工町付近まで出向く。そして奉行乗せた駕籠桜馬場まで来たところで、諸藩聞役達の名が披露され奉行駕籠止めて彼ら1人1人に対して会釈をする。

※この「聞役と長崎奉行」の解説は、「長崎聞役」の解説の一部です。
「聞役と長崎奉行」を含む「長崎聞役」の記事については、「長崎聞役」の概要を参照ください。

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