大曲輪貝塚とは? わかりやすく解説

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大曲輪貝塚

名称: 大曲輪貝塚
ふりがな おおぐるわかいづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 愛知県
市区町村 名古屋市瑞穂区
管理団体 名古屋市(昭16・4・2)
指定年月日 1941.01.27(昭和16.01.27)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 昭和十四五月名古屋市ニ於テ字大曲輪ヲ通ズル山崎川左岸原野及畑ヲ整地シテ運動場ト為サントセシ際夥シキ土器破片貝殻等ヲ發見セシニ依リ貝塚タルコトヲ認メラルルニ至リシモノナリ
表面ニハ厚サ數寸ノ腐蝕土アリテ貝殻土器破片散亂シ其ノ下牡蠣灰貝等ノ貝殻ヲ主トセル厚サ七寸乃至一尺遺物包含アリ更ニ其ノ下ニモ土器石器等ヲ包含セル黒土層アリテ基盤ヲ成セル黄白色ノ礫土層ニ連續セリ遺物トシテハ石鏃石斧石錐石匙石錘敲石等ノ石器ヲ始メ繩紋土器土版土偶破片骨角器獸骨魚骨發見セラレタリ

大曲輪貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/01 00:00 UTC 版)

出土した屈葬人骨のレプリカ

座標: 北緯35度7分22.8秒 東経136度56分34.4秒 / 北緯35.123000度 東経136.942889度 / 35.123000; 136.942889

大曲輪貝塚

大曲輪貝塚(おおぐるわかいづか)は、愛知県名古屋市瑞穂区にある縄文時代貝塚を伴う複合遺跡。貝塚以外の遺構も見つかっていることから、大曲輪遺跡(おおぐるわいせき)とも呼ばれる。

概要

1939年昭和14年)、瑞穂陸上競技場の建設の際に発見され、1941年(昭和16年)に国の史跡に指定された。1980年(昭和55年)、競技場の改築の為に旧スタンドを取り壊した際に、その下に遺跡が良好な状態で残存している事が確認され、約2200平方メートルの発掘調査[1]が行なわれたところ、周辺を含めて縄文時代前期から古墳時代中世の複合遺跡と判明した。山崎川の対岸で見つかった下内田貝塚も同じ集落に含まれると考えられている。

貝塚は縄文時代前期のものが4ヶ所で、その中から石斧石鏃などの石器類、土器や土製の耳環などの他にほぼ完全な屈葬人骨と複数の人骨片が出土。また縄文晩期の甕棺墓群や竪穴建物跡(少なくとも1棟は縄文前期と確認された)なども検出された[1]。出土品は名古屋市博物館に収蔵されている。

大曲輪人骨

発掘された人骨の内、胸の上に犬の骨1頭分を抱いた形で見つかったものがあり、一緒に埋葬された可能性が指摘されている。また、もっとも完全な状態で確認された1体については、競技場スタンド横に発掘時の状態を模したレプリカが展示されていたが、現在はレプリカが収められていたケースのガラス覆いの上から説明が掲示され、見ることができなくなっている。

脚注

  1. ^ a b 『名古屋の史跡と文化財(新訂版)』P.101

参考文献

  • 名古屋市教育委員会 編『名古屋の史跡と文化財(新訂版)』名古屋市教育委員会、1997年。 

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