大日古墳とは? わかりやすく解説

大日古墳

名称: 大日古墳
ふりがな だいにちこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 山口県
市区町村 防府市高井
管理団体 防府市(昭24・716)
指定年月日 1948.01.14(昭和23.01.14)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 大日丘陵上にあつて畧々南西々に面する前方円型古墳である。封土全長150尺を有し北側に隍跡が遺存している。後円部南面し横穴式石室存する石室羨道玄室との二部分れ花崗岩割石を以て成せられた壯大なもので羨道の長約12尺、幅約7尺2寸、高約7尺4寸あり。玄室略々中央凝灰岩製の石棺安置されている。は刳拔式で、身の二部より成り屋根型を呈し前後各々一両側各二の大型縄掛突起が造付けられている。この古墳百済王琳聖太子の墓と伝えられているもので、横穴式石室石棺具えたものとしては、この地方に於ける稀有の例に属す

大日古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 10:01 UTC 版)

大日古墳

石室開口部
所在地 山口県防府市大字高井字大日[1]
位置 北緯34度4分20.53秒 東経131度32分51.50秒 / 北緯34.0723694度 東経131.5476389度 / 34.0723694; 131.5476389座標: 北緯34度4分20.53秒 東経131度32分51.50秒 / 北緯34.0723694度 東経131.5476389度 / 34.0723694; 131.5476389
形状 (一説)前方後円墳
規模 墳丘長40m?
埋葬施設 両袖式横穴式石室岩屋山式
(内部に刳抜式家形石棺
築造時期 7世紀後半
被葬者 (伝)琳聖太子
(一説)土師連猪手
(一説)来目皇子
史跡 国の史跡「大日古墳」
地図
大日古墳
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大日古墳(だいにちこふん)は、山口県防府市高井にある古墳。形状は一説に前方後円墳。国の史跡に指定されている。

概要

前方後円墳とした場合の墳丘
右に推定後円部と石室、左奥に推定前方部。

山口県南部、防府平野北西部の佐波川右岸において、防府平野を見下ろす西目山山麓の台地上に築造された古墳である[2]。推定前方部は墓地化しているほか、発掘調査は実施されていない。

墳形は前方部を南西方向に向けた前方後円形とする説があるが、時期の観点(前方後円墳は一般に6世紀末-7世紀初頭に消滅)から疑義も強い[2]。前方後円墳とした場合には墳丘長約40メートル、後円部直径20メートル弱を測るとされる[3]。墳丘外表で埴輪は認められていない[4]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。奈良県岩屋山古墳に類似する畿内系の岩屋山式石室になる。石室全長13.2メートルを測る山口県内では最長の大型石室であり、石室の玄室内には兵庫県加古川流域産の成層ハイアロクラスタイト[5]竜山石)製の刳抜式家形石棺を据える[2]。副葬品は明らかでない。

築造時期は、古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定される[2]。岩屋山式石室・竜山石製家形石棺の採用に畿内との極めて強い結びつきが認められるとともに[2][6][3]、本古墳の築造前後で在地性古墳にはほとんど影響が認められない点でも、当時の政治情勢を考察するうえで重要視される古墳である[6]。被葬者は明らかでないが、『防長風土注進案』に載る伝承の中には百済琳聖太子大内氏祖)の墓にあてるものがあるほか[3]、当地の県主である土師猪手(大仁土師娑婆連猪手)に比定する説[7][8]来目皇子(第31代用明天皇皇子)の殯宮に比定する説[9]宮内庁桑山塔ノ尾古墳出土遺物埋納地に治定)などが挙げられている。

古墳域は1948年昭和23年)に国の史跡に指定されている[10]

遺跡歴

埋葬施設

石室俯瞰図
石室展開図
石棺立面図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[2]

  • 石室全長:13.2メートル[11]
  • 玄室:長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ約2.5メートル
  • 羨道:長さ9.7メートル、幅1.45メートル(玄門)・2.2メートル(開口部)

石室の石材には花崗岩の割石が使用されている[2]。玄室は奥壁・側壁とも3段積みで、羨道は1-3段積みである[2]

石室の形態としては、玄室の側壁上部が内傾する点、羨道の天井部に段差をつける点などで岩屋山古墳奈良県)と同様の特徴を有しており、「岩屋山式石室」と捉えられる[2][3]。平面形としては岩屋山古墳石室を一回り小さくしたもので、玄室の大きさは4/5、羨道部の長さは3/4である[6]。ただし岩屋山古墳石室とは、切石・割石、積み上げ段数、漆喰有無の点で相違する[2]

石室内の玄室中央部奥壁寄りには、刳抜式家形石棺を据える[2]。石棺の石材は兵庫県加古川流域産の成層ハイアロクラスタイト[5](竜山石)製[2]。石棺の大きさは次の通り[2]

  • 蓋石:長さ1.88メートル、幅0.95メートル、高さ0.40メートル
  • 身石:長さ1.85メートル、幅0.93メートル、高さ0.65メートル

蓋石の上部平坦面指数(上部平坦面幅の全体幅に対する割合)は62[2]。蓋石には前後1対・左右2対の計6個の縄掛突起を付す[2]。山口県では唯一となる家形石棺の例である[12]

文化財

国の史跡

  • 大日古墳 - 1948年(昭和23年)1月14日指定[10][1]

脚注

  1. ^ a b 大日古墳(山口県ホームページ「山口県の文化財」、文化財要録)。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 山口県史 資料編 考古1 2000.
  3. ^ a b c d e 史跡説明板。
  4. ^ 山口県の地名 1980.
  5. ^ a b 竜山石は、かつて流紋岩質溶結凝灰岩とされてきたが、近年の調査によって流紋岩質成層ハイアロクラスタイト(水冷破砕岩)と判明している(宝殿石(竜山石) 兵庫県)
  6. ^ a b c 防府市史 資料2 2004.
  7. ^ 日本古墳大辞典 1989.
  8. ^ 大日古墳(国指定史跡).
  9. ^ 『王者のひつぎ -狭山池に運ばれた古墳石棺-(平成30年度特別展図録)』大阪府立狭山池博物館、2018年、pp. 78-79。
  10. ^ a b c 大日古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  11. ^ 大日古墳(防府市ホームページ)。
  12. ^ 大日古墳(山口県ホームページ「山口県の文化財」)。

参考文献

  • 史跡説明板(山口県教育委員会・防府市教育委員会、2016年設置)
  • 地方自治体発行
    • 「大日古墳」『山口県史』 資料編 考古1、山口県、2000年。 
    • 「大日古墳」『防府市史』 資料2(考古資料・文化財編)、防府市、2004年。 
  • 事典類

関連項目

外部リンク




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