沼津貝塚
名称: | 沼津貝塚 |
ふりがな: | ぬまづかいづか |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 宮城県 |
市区町村: | 石巻市沼津 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1972.10.21(昭和47.10.21) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成12.03.27 |
解説文: | S47-5-098沼津貝塚.txt: 貝塚は北上川の支流、真野川東岸の丘陵鞍部、標高22~24メートルの緩斜面から水田に広がっている。 この貝塚は、すでに大正時代から多数の遺物が収集され、なかでも骨角器は約1,200点におよぶことで有名であり、その時期も繩文時代中期末から同晩期として知られている。貝塚には海水産・淡水産貝類を主とする2地区があり、海水が奥深くまで浸入していた時期から、潟沼のような状態にいたるまでの長期間にわたる生活が営まれていたことを示している。東北地方における代表的な貝塚として知られる。 |
沼津貝塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 00:14 UTC 版)
沼津貝塚(ぬまづかいづか)は、宮城県石巻市沼津字出外・八幡山にある縄文時代の代表的な貝塚。別称出外(でと)貝塚ともいう。1972年(昭和47年)10月21日、国の史跡に指定される[1]。
概要
本貝塚は、石巻市の東に万石浦があり、その北方の標高25~15メートルの丘陵上に立地する[1]。遺跡全体の面積は東西220メートル、南北160メートルである[2]。縄文時代前期からの遺物が存在し、中期後半に入って貝層が形成され、縄文時代中期後半から後期初頭にかけてはハマグリを主体とし、縄文時代後期中葉から晩期前半にかけてはアサリ、縄文時代晩期後半から弥生時代にかけてヤマトシジミを主体とするの層順でみられる。
地元の毛利総七郎と遠藤源七によって、1908年(明治41年)から1929年(昭和4年)にかけて継続的に発掘調査され、長谷部言人や杉山寿栄男など多くの研究者も参加している。出土品では、釣り針・銛・ヤスなどの骨角器が多いことが特徴である。その他、漁具や櫛・垂飾品などの装身具など膨大な遺物が採集されている。このうちの骨角器一括、縄文土器2点、岩版1個、土製獣2点が一括して重要文化財に指定されている(東北大学蔵)。
戦後になって1958年(昭和33年)、1963年(昭和38年)、1967年(昭和42年)には研究会・大学・県などの研究団体が発掘調査している。
規模も大きく、貝塚の保存状態もよく、出土の骨角器も多量などの理由から1972年(昭和47年)、東北地方における縄文時代の貝塚として国の史跡に指定された[2]。
脚注
- ^ a b “沼津貝塚 ぬまづかいづか”. 文化遺産オンライン. 2021年11月25日閲覧。
- ^ a b “指定文化財〈史跡〉沼津貝塚”. 宮城県 (2019年1月24日). 2021年11月25日閲覧。
参考文献
- 藤沼邦彦「沼津貝塚」/文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第1巻 原始1』同朋舎出版 1991年 ISBN 978-4-8104-0924-6
関連項目
座標: 北緯38度26分44.9秒 東経141度22分39.5秒 / 北緯38.445806度 東経141.377639度
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