室谷洞窟
名称: | 室谷洞窟 |
ふりがな: | むろやどうくつ |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 新潟県 |
市区町村: | 東蒲原郡阿賀町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1980.02.04(昭和55.02.04) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S54-12-027[[室谷洞窟]むろやどうくつ].txt: 本洞窟は、越後山脈中の奥深く、福島県境からさほどへだたらぬところにあって、山脈を東西に横切る阿賀野川に北流してそそぐ支流の一つ、室谷川の西岸に位置している。南面する洞窟の前方はきりたった崖となり、東側には狭小な河岸段丘の平坦地が連なる。洞窟は室谷川のかつての側方侵蝕によって形成されたものであり、入口幅約7メートル、奥行約8メートル、高さ約3メートルの規模をもつ。周壁は流紋岩できわめて硬く、旧状をよくとどめている。 本洞窟は、昭和35年から37年にかけて長岡科学博物館・新潟大学医学部解剖学教室によって発掘調査され、繩文時代初頭の頃の文化層が15層にわたって堆積することが知られた。堆積層の第5層以上と第6層以下では出土土器に大きな変化があり、第5層以上の「上層土器群」には、南関東でそれまで最古の土器とみなされてきた[[撚糸]よりいと]文土器が含まれていた。したがって第6層以下の「下層土器群」はさらに古い時期に遡ることになるのであり、しかもその土器の形態・文様は当時の常識を破る特異なものであった。土器は鉢形を呈し、底部は隅丸方形の平底となり、文様は押圧繩文や羽状繩文を多用している。下層土器群に伴って石製の[[鏃]やじり]・[[削器]さっき]などのほか、カモシカ・ノウサギ・ツキノワグマなどの動物遺体も多く出土しており、当時の生活内容をよく知りうるのである。 本洞窟は、繩文文化生成の頃の生活様式を主として土器の変遷をつうじて最もよく解明した洞窟の一つであり、きわめて重要なものである。 |
室谷洞窟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/04 16:11 UTC 版)
室谷洞窟 | |
![]() 遺跡入口近景 | |
所在地 |
![]() |
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座標 | 北緯37度32分35.0秒 東経139度21分46.0秒 / 北緯37.543056度 東経139.362778度 |
歴史 | |
時代 | 縄文時代 |
室谷洞窟(むろやどうくつ)は、新潟県東蒲原郡阿賀町にある洞窟遺跡。1980年(昭和55年)2月4日に国の史跡に指定された。また、室谷洞窟出土品も2000年(平成12年)12月4日に国の重要文化財に指定されている[1]。
位置と概要
阿賀野川水系の室谷川の左岸、福島県境に近い山間部に室谷洞窟がある。同じく縄文草創期の遺跡として知られる小瀬ヶ沢洞窟から、さらに6.5キロほど上流にさかのぼったところにあり、この洞窟より上流には集落はない。洞窟は室谷川に臨む流紋岩の崖面に開口し、標高は218メートル、洞窟の高さは3メートル、幅は7メートル、奥行は8メートルである[2]。
1960年、長岡市立科学博物館で考古部門を担当していた長岡出身の考古学者中村孝三郎が、新潟大学医学部解剖学教室の小片保(おがたたもつ)と共同で調査団を結成し、1961年、1962年にかけて3次の調査を行った[3]。
出土品
洞窟内の堆積土は15層を数え、最上部の1層から5層までを上層、6層から15層までを下層と称する。上層・下層のそれぞれから多量の土器、石器、骨製品が出土した。時期的には、上層の遺物が縄文早期および前期、下層が草創期に属する。下層からは、かつて縄文土器の最古段階とみなされていた撚糸文土器よりさらに古い縄文草創期の土器が出土したことで、小瀬ヶ沢洞窟とともに縄文土器の編年上、重要な遺跡である[4]。
上層からは撚糸文系、貝殻沈線文系、羽状文系の土器が出土するいっぽうで、下層からはさらに古い草創期の土器が出土している。「室谷下層式」と称されるこれらの土器は多縄文系(押圧縄文、回転縄文など複数の種類の縄文をほどこす)である。下層出土の土器は平底の深鉢形で、底面は隅丸方形に形成される。作り方は輪積法ではなく、板状の粘土を繋ぎ合わせて作っている。下層出土の土器をさらに細分すると、10層から13層で出土する古段階と、6層から9層で出土する新段階に分けられる。前者が押圧縄文主体であるのに対して、後者では押圧縄文は減って回転縄文主体になっている[5]。
下層から出土する草創期の石器は、小瀬ヶ沢洞窟でみられた尖頭器は姿を消し、小型で茎(なかご)のない石鏃、掻器などの限られた種類になる。上層の石器は、磨製と打製の石斧、磨皿、砥石、石錐、石垂、石匙などが加わる[6]。
骨製品は、下層ではわずか2点検出されたのみであった。上層では刺突具、骨針などの骨製品がある。獣骨はツキノワグマ、カモシカのものが多い[7]。
上層からは早期および前期の人骨7体分が出土した。うち前期の3層から出土した女性人骨は屈葬されていた。他の人骨は破片の検出にとどまっている[8]。
2000年12月に室谷遺跡出土の土器、石器、骨製品など1,402点が重要文化財に指定された[9]。
脚注
参考文献
- 小熊博史 『縄文文化の起源をさぐる 小瀬ヶ沢・室谷洞窟(シリーズ「遺跡を学ぶ」37)』新泉社、2007年。
外部リンク
- 室谷洞窟のページへのリンク