宮の前廃寺跡とは? わかりやすく解説

宮の前廃寺跡

名称: 宮の前廃寺跡
ふりがな みやのまえはいじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 広島県
市区町村 福山市蔵王町
管理団体 福山市(昭481211)
指定年月日 1969.05.27(昭和44.05.27)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S43-12-013[[宮]みや]の[[前]まえ]廃寺.txt: 山陽本線福山駅北東約4キロ八幡神社のある丘陵斜面中腹位置する奈良時代寺院跡である。
 昭和25年および42年発掘調査で、東に塔、西に金堂配したいわゆる法起寺式の伽藍で、塔跡一辺12.7メートル、高さ1.2メートル金堂跡は東西24.9メートル南北14メートルであることが確認された。いずれも〓(*1)積の基壇でその残存状況良好である。
 出土遺物には、軒瓦・〓(*1)仏のほか「紀臣和古女」「紀臣石女」「栗栖君」「粟麻呂」などの文字瓦みられる
 遺跡地は、「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」にみる備後深津庄、あるいは「日本霊異記」の深津市比定されている地域であり、遺物遺構のほか立地の背景などからも貴重な遺跡といえる
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宮の前廃寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 07:24 UTC 版)

宮の前廃寺跡 伽藍全景
左に金堂跡、右奥に塔跡。

宮の前廃寺跡(みやのまえはいじあと)は、広島県福山市蔵王町にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。

概要

奈良時代から平安時代にかけての仏教寺院遺跡で、現在では地元の蔵王八幡神社のある丘陵南斜面中腹にある参道脇に位置する。1950年及び1967年に行われた発掘調査によれば、東に塔を配し、西に金堂を配する法起寺式と呼ばれる伽藍の寺院で、塔跡(何層であったかは不明)は一辺12.7メートル、高さ1.2メートル、金堂跡は東西24.9メートル、南北14メートルであったことが確認された。また出土遺物には、奈良、平安時代の数種類の軒瓦、「紀臣和古女」「栗栖君」などの文字を陰刻した丸瓦・平瓦・せん仏などがある。現在では参道が塔跡と金堂跡の間にあるが、遺跡の残存状況も良好であるため、1969年に国の史跡に指定されている。

歴史

宮の前廃寺は、その名のとおり仏教寺院として存続しておらず、神社の境内に位置している。かつては「海蔵寺」の名の寺院であったといわれ、「日本霊異記」にある「深津市」、「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」にみる「深津荘」などの文献にある集落付近に建立されていたと考えられている。これは当地が備後国の国府の外港として栄えていた深津湾岸(近世までの郡名は「深津郡」)の港が存在していたとされており、律令時代の貴重な遺跡といえる。

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座標: 北緯34度30分34.1秒 東経133度23分46.8秒 / 北緯34.509472度 東経133.396333度 / 34.509472; 133.396333




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