千居遺跡とは? わかりやすく解説

千居遺跡

名称: 千居遺跡
ふりがな せんごいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 静岡県
市区町村 富士宮市上条
管理団体
指定年月日 1975.06.26(昭和50.06.26)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S50-5-116[[千居]せんご]遺跡.txt: 富士山西南麓のなだらかな裾野立地する繩文時代中期集落跡および配石遺構主体とする遺跡である。集落跡は径約50メートルの大環状をなす20余棟の円形竪穴住居跡からなっている。住居跡は径7.3メートルから3メートルまでの大きさで、重複したものもある。配石遺構人頭大の石を運んで構築したのである長さ40メートル直線状および弧状帯状組石があり、この内外に環状配石主体配石等が配置され一部石棒等も用いられている。この遺跡いわゆる配石遺構のうちでも大規模なものであり、集落跡複合して全貌調査された点で学問的に貴重なのである
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千居遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 14:09 UTC 版)

千居遺跡
千居遺跡
静岡県における位置
千居遺跡 (日本)
所在地 静岡県富士宮市上条
座標 北緯35度17分28.5秒 東経138度35分11.0秒 / 北緯35.291250度 東経138.586389度 / 35.291250; 138.586389
種類 遺跡
歴史
時代 縄文時代
追加情報
発掘期間 1970年、1971年、2008年(調査年)
状態 保存
一般公開 公開
文化財指定 1975年-国史跡

千居遺跡(せんごいせき)は、静岡県富士宮市にある縄文時代前期末から中期および後期前半にかけての環状集落遺跡ストーンサークルの存在が特徴的な遺跡で、1975年(昭和50年)6月26日に国の史跡に指定されている[1]

概要

本遺跡は標高398メートル、北から南に延びる千居丘陵のほぼ中央部に位置する。戦前から知られていたが、昭和40年代(1965年〜1974年)に入って地元高校の一部試掘調査により敷石が確認された。1970年(昭和45年)、1971年(昭和46年)の二次にわたって発掘調査が行われた。大規模な配石遺構、そして環状に並ぶ20棟以上の竪穴建物跡(環状集落)や縄文土器が発見されている。

ストーンサークル

この遺跡の特徴として大規模なストーンサークルの存在が挙げられ、列石跡や配石跡などが確認されている。このうち長さ40メートル以上にもなる2基の列石跡は富士山に対して防波堤のように並んでおり、これらの石跡は富士山信仰との関わりが指摘されている[2]

脚注

  1. ^ スポーツ・文化観光部文化局文化財課 (2023年11月3日). “千居遺跡”. 静岡県しずおか文化財ナビ. 2025年3月1日閲覧。
  2. ^ 富士宮市教育委員会、『図録 富士宮市の遺跡』、2018年

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度17分28.5秒 東経138度35分11.0秒 / 北緯35.291250度 東経138.586389度 / 35.291250; 138.586389




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