上行寺東遺跡とは? わかりやすく解説

上行寺東遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/17 05:53 UTC 版)

上行寺東遺跡(推定・浄願寺)
所在地 神奈川県横浜市金沢区六浦2-12
位置 北緯35度19分42.2秒 東経139度37分09.3秒 / 北緯35.328389度 東経139.619250度 / 35.328389; 139.619250座標: 北緯35度19分42.2秒 東経139度37分09.3秒 / 北緯35.328389度 東経139.619250度 / 35.328389; 139.619250
創建年 推定文治年間(1185-1190年)
テンプレートを表示

上行寺東遺跡(じょうぎょうじひがしいせき)、あるいは上行寺東やぐら群遺跡(じょうぎょうじひがしやぐらぐんいせき)は、神奈川県横浜市金沢区六浦にある中世遺跡。現在、金沢区洲崎町にある龍華寺の前身で、源頼朝文治年間(1185 - 1190年)に六浦山中に創建した浄願寺の跡であるという説がある[1][2]

情報

1984年(昭和59年)にマンション建設の事前調査において発見された。

当該地はかつて鎌倉の外港的役目を果たしていた六浦湊を望む凝灰石の岩山にあり、やぐらと呼ばれる中世期独特の横穴式墳墓群44基と、頂上部には阿弥陀如来とみられる石窟仏を納めたやぐらと、岩山を削り柱穴をあけて建てた寺院跡とみられる遺構が発見された。ほかにも火葬人骨や板碑五輪塔宝篋印塔陶磁器などおびただしい数の出土品が見つかった[3]

しかし、遺跡について書かれた文献が存在しないことなどを理由として、歴史学者や市民団体の反対に関わらず建設工事が強行され、遺跡は破壊されてマンションが建設された。この際、文化財保護条例が存在しないことを理由に積極的に動かなかった横浜市の対応にも批判が集まった(ただし工事前の記録保存(発掘調査)や、全国で初めて[4]遺構の実寸大型取り復元を行うなど、一定の遺跡保護の取組み[5]を行っている)。

現在は遺跡上段部の一部がガラス繊維補強セメント(GRC)製のレプリカとして隣接地に復元され(やぐらは現物)公開されている[6][7]

注釈

  1. ^ 千々和到 1985, pp. 31–34.
  2. ^ 細川涼一 1985, p. 20.
  3. ^ 上行寺東やぐら群遺跡発掘調査団 2002.
  4. ^ 現地解説文より
  5. ^ 埋蔵文化財 | 文化庁”. www.bunka.go.jp. 2019年4月1日閲覧。
  6. ^ 横浜金沢観光協会.
  7. ^ 横浜金沢ガイドMAP”. 一般社団法人横浜金沢観光協会. 2022年12月16日閲覧。

参考文献

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「上行寺東遺跡」の関連用語

上行寺東遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



上行寺東遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの上行寺東遺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS