寺地遺跡とは? わかりやすく解説

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寺地遺跡

名称: 寺地遺跡
ふりがな てらちいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 新潟県
市区町村 糸魚川市大字寺地
管理団体 糸魚川市(昭57・611)
指定年月日 1980.12.05(昭和55.12.05)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S55-05-019寺地遺跡.txt: 新潟県西端にある姫川とその支流小滝川中流部及び[[青海]おうみ]川の上流部は、わが国唯一の硬玉産地として広く知られている。寺地遺跡は、この姫川河口青海川河口中間日本海面する丘陵先端部に営まれた、繩文時代中期から晩期集落跡である。昭和42年土地区画整理対象地となり、以降昭和48年まで前後5回にわたる発掘調査実施された。その結果中期前半から晩期にかけての、玉造工房跡とみられる竪穴住居跡6基と、巨大な4本を伴う特異な配石遺構検出され注目されることとなった
 全形検出されたI号竪穴中期前半)は、径5メートル円形竪穴で、壁面沿って5070センチテラス設け中央南西寄り部分方形の石囲炉、北東部テラス上に埋甕施設をもつ。注目すべきは、この石囲炉の南に接して扁平な大形砥石埋設され、またテラス南壁接す位置に、内部細砂堆積認められる60センチ深さセンチ程の浅い円形ピットがあり、それに接して30センチ扁平な河原石と、この河原石に乗せた砂岩質の砥石検出されたことである。竪穴内部からは、中期前半土器とともに姫川あるいは青海川河床採取したとみられる多数硬玉礫、硬玉完成品未成品蛇紋岩製の石斧及びその未成品と、石鏃石槍・叩石・石錘などの石器蝋石製大珠などが検出されており、このI号竪穴において、硬玉主とする玉類の生産が行われたことが明らかである。また、VI竪穴中期中葉においては、I号竪穴同様の工作とみられる浅い円形ピット砥石硬玉礫などとともに多数蛇紋岩石斧未成品剥片検出されており、硬玉生産同時に硬玉母岩である蛇紋岩利用した石斧生産行われたことがうかがえるこうした竪穴出土品内容は、他のIIIV号竪穴中期)やIV竪穴後期末)、II竪穴後期晩期)についても全く同様であり、この遺跡中期前半から晩期までの長期間通じて硬玉を主とした玉類と蛇紋岩石斧生産した生産遺跡であることが判明したのである
 竪穴群の東方低地部分で検出され配石遺構は、東西12メートル南北16メートル拡がり持ち柱状あるいは扁平な河原石の立石つくられ区画と、その内部及び外周埋め扁平な河原石の敷石からなっている。配石遺構主要部は、西北部長径メートル短径メートル楕円形の環状配石と、その東方にある中央敷石部分に径60センチ巨大な4本をもつ、一辺メートル方形配石方形配石南方拡がる三重弧状配石と、中央部位置する径2メートルの炉状配石4種配石構成されている。環状配石内部から、大形の甕形土器納めた小形壺形土器1(晩期)と朱漆塗の骨片が、また炉状配石内部からは、土器片・砥石片・石斧・硬玉とともに一部獣骨を含む多量人骨片(10体分以上)が出土している。4本のをもつ方形配石では、三隅に石棒立てており、配石内部から、独鈷石朱漆塗の数個出土した
 中期前半から晩期に至る硬玉及び蛇紋岩石斧工房跡と、晩期極めて特異な配石遺構からなる寺地遺跡の内容は、繩文時代における硬玉生産実態と、この地域における特殊な祭祀形態うかがわせるものとして、貴重である。



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