ジオサイトとフォッサマグナミュージアム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 08:49 UTC 版)
「ヒスイ海岸 (糸魚川市)」の記事における「ジオサイトとフォッサマグナミュージアム」の解説
糸魚川市に属する海岸のうち、糸魚川海岸と青海海岸、そして親不知海岸と市振海岸の4地点が糸魚川ジオパークを構成する24のジオサイトに含まれている。これら4地点は、小滝川硬玉産地(小滝川ヒスイ峡)、青海川の硬玉産地及び硬玉岩塊(青海川ヒスイ峡または橋立ヒスイ峡)などとともに「ヒスイに関係の深いジオサイト」とされる。以下に4つのジオサイトの特徴について述べる。 市振海岸 『糸魚川ジオパーク巡検案内書1 市振』では「ヒスイと芭蕉の宿場まち」という副題をつけている。市振はかつて北陸道の宿場町として賑わい、松尾芭蕉も『おくのほそ道』紀行の途上で立ち寄っていた。地形的には、中生代白亜紀(約1億年前)の火山岩で形成された山が海の間近まで迫っている。海岸では、糸魚川や富山方面から打ち寄せられてきたヒスイを始めとするさまざまな種類の小石が見られる。富山県との県境を分ける境川(さかいがわ)の河原では、泥岩の中から二枚貝、植物、アンモナイトなどの化石を見つけることができる。 親不知海岸 『糸魚川ジオパーク巡検案内書2 親不知』では「断崖と街道と東西文化」という副題をつけている。親不知は北アルプスの山並みが一気に断崖絶壁となって日本海に落ち込む地形が約10キロメートルにわたって続き、通行困難な北陸道の難所として知られる。市振海岸と同様に、ここでもヒスイを始めとするさまざまな種類の小石を探すことができる。なお、「親不知火山岩類」と呼ばれる約1億年前の火山噴出物で形成された地層の中に、ガーネットが見つかるという。 青海海岸 『糸魚川ジオパーク巡検案内書3 青海海岸』では「縄文人のヒスイ海岸」という副題をつけている。田海川(とうみがわ)に近い寺地遺跡(てらじいせき、国の史跡)は縄文時代中期から後期の遺跡で、ヒスイ加工の工房だったことが判明している。姫川と青海川の間にある海岸では、この2つの河川が運んでくるヒスイを始めとした多くの石を観察することが可能である。田海川と青海川に挟まれた海岸は、ラベンダー(薄紫色)のヒスイが見つかることから「ラベンダービーチ」の愛称で親しまれている。 糸魚川海岸 『糸魚川ジオパーク巡検案内書15 糸魚川海岸』では「消えた砂丘とヒスイ海岸」という副題をつけている。現在では砂利や小石の海岸となっているが、昭和30年代までは野球ができるくらいの広さのある砂利混じりの砂浜であったという。砂浜は浸食によって徐々に失われてわずかに残るのみだが、夏場には海水浴も可能である。天気の良い日にはヒスイを探しながら散策する人も見受けられる。 1994年(平成6年)4月25日にオープンしたフォッサマグナミュージアムは、2014年(平成26年)9月8日から大規模な改修を行い、2015年(平成27年)3月9日にリニューアルオープンした。ミュージアムの第1展示室には、糸魚川の海岸で見つかったヒスイ原石が約400個展示されている。
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