日本のストーンサークル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 14:20 UTC 版)
「ストーンサークル」の記事における「日本のストーンサークル」の解説
日本においてストーンサークルと呼ばれるものは、縄文時代中期後半から後期にかけて、主に東北地方から北海道にかけての東日本で造られた配石遺構を指すことが多く(縄文時代以外の時代の配石遺構を呼ぶ場合もある)、日本考古学界では訳語である「環状列石」(かんじょうれっせき)の語で呼ばれることが多い。日本の考古学史上で初めてこの種の遺跡を報告したのは、1886年(明治19年)に動物学者の渡瀬荘三郎(庄三郎)が行った北海道小樽市の忍路環状列石についての報告とされている。 同時代の環状列石は、長径30-40メートルの環状に配石した遺構である。大きさは直径30メートル以上のものと直径10メートル以下のものがあり、大きいものは祭祀の場として造られ、小さいものは竪穴住居の周囲に石を置いたものが多い。現在までのところ最古と考えられているのは長野県諏訪郡原村にある阿久遺跡の例で、縄文時代前期のものと推定されている。縄文時代中期の終わりごろには現在の静岡県・山梨県・群馬県付近で造られる。続いて縄文時代後期前半に秋田県北部や青森県、北海道西南部で造られる。同じころ、岩手県では石を直線状や弧状に並べるものが出現する。これらの遺構構造は、一番外側に2重・3重に川原石を環に並べた「外帯」と、多くの場合、その中心に「内帯」がある。「内帯」の内側は、直径5メートル内外の方形または円形の広場ができている。これらの配石の下に墓穴があったり、石列の間に土器棺があることが多い。そして、環になっている石の一部が途切れ、幅2-3メートルの通路ができ、両側に石が並び外に続いている[要出典]。
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