ドニゼッティとは? わかりやすく解説

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ドニゼッティ【Gaetano Donizetti】

読み方:どにぜってぃ

[1797〜1848]イタリア作曲家明朗洗練された作風で、19世紀前半イタリアオペラを代表。作品に「ランメルムーアのルチア」など。


ドニゼッティ

【英】:Donizetti, Gaetano
[イタリア]  1797~1848

執筆者: PTNA編集部

 イタリア作曲家オラトリオカンタータなどの宗教曲オーケストラ作品室内楽作品ピアノ作品歌曲多作で筆の速い作曲家であった今日では、ベル・カント・オペラの作曲家として知られている。織物業を営む家庭生まれ教会附属音楽院学んだその後ボローニャ音楽院でも学んでいる。家業を継ぐか法律家もしくは教師になることを望んでいた父親束縛から逃れ軍隊志願した。そして、軍役合い間に作曲進めたこの間作曲したオペラ成功を受け、数年後除隊しオペラ作曲続けた
 ドニゼッティはこんにち特にオペラ作曲家として知られるが、創作初期器楽曲中心で、鍵盤楽器のための作品も多い。

ピアノ独奏曲

ピアノ合奏


ドニゼッティ

名前 Donizetti

ガエターノ・ドニゼッティ

(ドニゼッティ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/12 00:35 UTC 版)

ガエターノ・ドニゼッティ
Gaetano Donizetti
1835年頃
基本情報
生誕 1797年11月29日
チザルピーナ共和国ベルガモ
死没 (1848-04-08) 1848年4月8日(50歳没)
オーストリア帝国
ロンバルド=ヴェネト王国、ベルガモ
職業 作曲家

ガエターノ・ドニゼッティDomenico Gaetano Maria Donizetti [ɡaeˈtaːno donidˈdzetti] ( 音声ファイル), 1797年11月29日 - 1848年4月8日)は、イタリアベルガモに生れて同地で没したオペラ作曲家ジョアキーノ・ロッシーニヴィンチェンツォ・ベッリーニと共に19世紀前半のイタリアを代表するオペラ作曲家として人気を博した。

生涯

作品

オペラ

オペラは70作品ほど作られたが、現在上演される作品はそれほど多くなく初期作品は未だ日の目を見ないものもある。セリアでは『ランメルモールのルチア』、『アンナ・ボレーナ』、『ルクレツィア・ボルジア』、ブッファでは『愛の妙薬』、『連隊の娘』、『ドン・パスクワーレ』などが人気がある。 悲劇にも喜劇にも代表作が複数列挙できる、比較的数の少ないタイプの作家である(他には、リヒャルト・シュトラウス、再評価後のロッシーニなど)。

  • ピグマリオン 1816年(習作、1960年10月13日初演)
  • アキレスの怒り 1817年(習作、未上演)
  • ブルゴーニュのエンリーコ 1818年
  • ばかげた行い 1818年(紛失)
  • ロシア大帝ピョートル 1819年
  • 村の結婚式 1821年
  • グラナダのゾライーダ 1822年
  • ジンガラ(ジプシーの女) 1822年
  • 匿名の手紙 1822年ナ
  • キアラとセラフィナ 1822年
  • アルフレッド大王 1823年
  • 幸福な間違い 1823年
  • 当惑した家庭教師 1824年
  • リヴァプールのエミリア 1824年
  • グラナダのアラホール 1826年
  • エルヴィーダ 1826年
  • ヴェルジーのガブリエッラ 1826年(未上演、1838年改訂)
  • オリーヴォとパスクワーレ 1827年
  • 2時間で8ヶ月 1827年
  • サールダムの市長 1827年
  • 劇場の都合 1827年
  • 追放されたローマ人 1828年
  • リヴァプールの隠れ家 1828年ナポリ(『リヴァプールのエミリア』改作)
  • ゴルコンダの女王アリーナ 1828年
  • カレのジャンニ 1828年
  • パーリア 1829年
  • カーニヴァルの木曜日 1829年
  • ケニルウォース城のエリザベッタ 1829年
  • 気違いのふりをする人たち 1830年
  • 大洪水 1830年(1834年改訂)
  • ランベルタッツィのイメルダ 1830年
  • アンナ・ボレーナ 1830年
  • 劇場の好不都合 1831年(『劇場の都合』改作)
  • パリのジャンニ 1831年
  • フォアのフランチェスカ 1831年
  • 女流小説家とどろぼう 1831年
  • ファウスタ 1832年
  • パリのウーゴ伯爵 1832年
  • 愛の妙薬 1832年
  • カスティーリャのサンチャ 1832年
  • サン・ドミンゴ島の狂人 1833年
  • パリジーナ 1833年
  • トルクァート・タッソー 1833年
  • ルクレツィア・ボルジア 1833年
  • イングランドのロスモンダ 1834年
  • マリア・ストゥアルダ 1834年
  • ブオンデルモンテ 1834年
  • ヴェルジーのジェンマ 1834年
  • マリーノ・フェリエーロ 1835年
  • ランメルモールのルチア 1835年
  • ベリザーリオ英語版 1836年
  • 夜の呼び鈴 1836年
  • ベトリー 1836年
  • カレの包囲 1836年
  • ピーア・デ・トロメイ 1837年
  • ロベルト・デヴリュー 1837年
  • ルデンツ家のマリア 1838年
  • ポリウト 1838年
  • 連隊の娘 1839年
  • ニシドの天使 1839年(未完)
  • 殉教者英語版 1840年(『ポリウト』改作)
  • ラ・ファヴォリート 1840年
  • アデリア 1841年
  • リータ英語版 1841年
  • マリア・パディッラ 1841年
  • シャモニーのリンダ英語版 1842年
  • ドン・パスクワーレ 1843年
  • ロアン家のマリア 1843年
  • ドン・セバスティアン英語版 1843年
  • カテリーナ・コルナーロ英語版 1844年

その他

  • レクイエム 1837年作曲 - ヴィンチェンツォ・ベッリーニの追悼用に作曲。
  • 弦楽四重奏曲19曲、協奏曲、シンフォニア、合唱曲などを多数残している。これは、恩師のマイールの指導によるところが大きい。
  • ポジリポの夏の夜(Nuits d'ete a Pausilippe)、ウィーンの印象(Ispirazioni viennesi) - 歌曲集(二重唱を含む)。

ドニゼッティの兄について

ジュゼッペ・ドニゼッティ

ガエターノの兄ジュゼッペ英語版(Giuseppe Donizetti, 1788年 - 1856年)は、当初は軍人としてオスマン帝国に駐在したが、その後は軍楽隊の洋楽教師となった。後にオスマン帝国の事実上の国歌となったマーチなどを作曲し、その功によりパシャの称号を与えられた。

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