ドニス・ド・ラ・パテリエールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 製作者 > 映画製作者 > フランスの映画監督 > ドニス・ド・ラ・パテリエールの意味・解説 

ドニス・ド・ラ・パテリエール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/17 20:18 UTC 版)

Denys de La Patellière
ドニス・ド・ラ・パテリエール
本名 ドニス・デュボワ・ド・ラ・パテリエール
Denys Dubois de La Patellière
別名義 Denis de La Patellière
生年月日 1921年3月8日
没年月日 2013年7月21日(満92歳没)
出生地 フランス ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県ナント
国籍 フランス
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画テレビ映画
活動期間 1949年 -
活動内容 1949年 助監督をつとめる
1954年 脚本家デビュー
1955年 監督デビュー

ドニス・ド・ラ・パテリエール(-パトリエールDenys de La Patellière1921年3月8日 - 2013年7月21日)は、フランス映画監督脚本家である。本名はドニス・デュボワ・ド・ラ・パテリエールDenys Dubois de La Patellière)。

人物・来歴

1921年(大正10年)3月8日、フランスのペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県ナント、デュボワ・ド・ラ・パテリエール家に生まれる。

1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結後、助監督として映画界に入り、ジョルジュ・ランパンらに師事する。1954年(昭和29年)、レオ・ジョアノン監督の『聖職剥奪』の脚本を執筆し、脚本家としてデビューする。同作は、同年の第4回ベルリン国際映画祭で銅熊賞を受賞している。

1955年(昭和30年)、ミシェル・ド・サン=ピエールのアカデミー・フランセーズ賞受賞作『貴族たち』を映画化して、監督としてデビューした。ジャン・ギャバン作品を多く手がけた。

1990年代には、テレビ映画シリーズ『新・メグレ警視』のうち2作の脚本・監督を務めた。

おもなフィルモグラフィ

関連事項

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドニス・ド・ラ・パテリエール」の関連用語

ドニス・ド・ラ・パテリエールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドニス・ド・ラ・パテリエールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのドニス・ド・ラ・パテリエール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS