前衛芸術家、演出家時代とは? わかりやすく解説

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前衛芸術家、演出家時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 17:37 UTC 版)

村山知義」の記事における「前衛芸術家、演出家時代」の解説

1925年大正14年9月池谷信三郎河原崎長十郎 らと心座結成旗揚げ公演カイザー作「ユアナ翻訳演出12月日本プロレタリア文芸連盟創立大会出席美術部員となる。15年1月、心座第二回公演自作孤児処置」(『テアトル1926年3月演出。また1926年2月には、『現在の芸術未来芸術』の続編位置づけられる『構成研究』(中央美術社)を刊行2月3月共同印刷争議への資金カンパのためプロ美術部員として街頭で似顔絵を描く。3月日活映画村田実監督横光利一原作日輪』のセットコスチューム担当4月JOAKから自作ラジオ・ドラマ出帆第一日』演出11月自作『勇ましき主婦』(『演劇新潮1926年10月)を新劇協会演出前衛的な芸術家プロレタリア運動家狭間位置しながらも、1926年大正15年10月無産者新聞創刊1周年記念の「無産者の夕」の舞台装置柳瀬担当プロ連の他の同志試みに強い感動をうけ、マルクス主義接近する同月スタンダード戯曲公演をめざす左翼的劇団前衛座創設参画、その同人となる。翌11月旗揚げ公演ルナチャルスキー解放されドン・キホーテ」の装置柳瀬担当、また劇中、「ムルチオ伯」を演じた同月最初の小説集『人間機械』(春陽堂)刊。1927年昭和2年2月文芸戦線同人5月心座で自作スカートをはいたネロ」(『演劇新潮同年5月6月 原始社刊)の演出装置担当後、心座脱退6月プロ後進日本プロレタリア芸術連盟分裂にさいし労農芸術家連盟参加同時に前衛座分裂佐々木孝丸らと前衛座を労芸所劇団改組、「スカートをはいたネロ」などを演出以後プロレタリア演劇運動戯曲演出装置3部門にわたり活躍する。ついで同年11月労芸脱退蔵原惟人らと前衛芸術家同盟創設同時に前衛座前芸所属前衛劇場と改組旗揚げ公演自作ロビン・フッド」(同年10月脱稿 発表未詳)の演出装置担当した同年初山滋武井武雄川上四郎岡本帰一深沢省三清水良雄とともに日本童画家協会」を結成1928年3月前芸プロ芸と合同4月全日本無産者芸術連盟ナップ)を結成しプロレタリア文学運動の中心的な組織生まれた。これに応じ前衛劇場もプロ芸のプロレタリア劇場合同左翼劇場結成。その第一回公演自作進水式」(『文芸公論1927年4月)の演出装置担当9月国際文化研究所の創設参画、その所員同年暮れナップ全日本無産者芸術団体協議会ナップ)への改組応じ1929年2月、その傘下団体として東京左翼劇場中心に日本プロレタリア劇場同盟プロット)が結成、その中央執行委員7月暴力団記」(『戦旗1929年7月 1930年1月 日本評論社刊)が佐野碩演出左翼劇場上演検閲により『全線』と改題)。「暴力団記」は、1923年京漢鉄道労働者組合結成にたいし軍閥暴力団などを使って弾圧ゼネストをもって立ち上がった組合指導者虐殺され中国革命運動史上著名な二・七惨案」に材を取った戯曲佐野演出もあり大きな成果をあげ、蔵原惟人は「現代日本プロレタリア戯曲の最高を示すもの」と評価村山代表作のひとつとなった10月国際文化研究所がプロレタリア科学研究所改組、その中央委員1930年2月藤田満雄、小野宮吉脚色徳永直原作太陽のない街」を演出する1930年昭和5年5月治安維持法違反検挙12月保釈翌年5月日本共産党入党蔵原とともに日本プロレタリア文化連盟コップ結成のため努力10月コップ成立応じ劇場同盟演劇同盟プロット)と改称、その中央執行委員長コップ中央協議会協議員。1932年4月志村夏江」(杉本良吉演出)の舞台稽古の朝検挙される1933年12月転向して出獄1934年3月懲役2年執行猶予3年判決服す5月転向文学のはしり「白夜」(『中央公論』)発表演劇運動対す国家権力弾圧激しくなり、東京左翼劇場中央劇場と名称を改称しその改名披露公演三好十郎作「切られ仙太」を上演1934年5月12日31日築地小劇場)した。だが、権力抑圧プロット解散決議をせざるをえなくなる(6月)。結局7月15日プロット解散左翼劇場中央劇場)も解体された。 出獄後村山は、新劇団の再編成考え、まず「新劇危機」(『新潮1934年9月)を発表、「新劇大同団結の提唱」(『改造1934年9月)をする。既存演劇集団――新築地劇団前進座美術座などはこの提唱反対する者多く結局村山主張する単一劇団出来なかった。当初新協劇団俳優制作だけという構成であった9月)。その後再編され演出家村山久保栄)、俳優小沢栄(のち小沢栄太郎)・滝沢修伊達信松本克平原泉子細川ちか子伊藤智子ら)で11月出発した創立公演村山久保参画脚色夜明け前第一部」(久保栄演出)で、多く観客動員があった。以後新協劇団中心人物一人として演出面で活躍代表的なもの久板栄二郎断層」(1935)「どん底」(1936)、久板「千万と雖も行かん」(1938)、本庄陸男原作石狩川」(1939)など。この期には「夜明け前」の第一部第二部(『テアトロ1934年11月 1936年3月)、「石狩川」(『テアトロ1939年11月)など、脚色仕事はあるが戯曲創作はほとんど見られない。ただ「白夜」などのほかに、大衆的な長編小説新選組』(1937年11月 河出書房)、上下巻本の天国地獄』(1939年3月4月 有光社)を執筆している点にひとつの特徴見られ、この線は戦後も『忍びの者』5部作(1962年10月 1965年3月 1967年1月 1967年6月 1971年7月 理論社)という形で現れる。またこの期には新派井上正夫脱皮ねらって井上正夫演劇道場1936年4月結成、その指導協力求められ以後新派歌舞伎演出行い戦後続けられている。村山先頭とする新協劇団活動戦時体制下良心の灯であったがゆえに、1940年8月村山らは逮捕、新協は解体された。1942年6月保釈され1944年控訴院判決下された懲役2年執行猶予5年)。1945年3月朝鮮へ、7月満州へ行く。

※この「前衛芸術家、演出家時代」の解説は、「村山知義」の解説の一部です。
「前衛芸術家、演出家時代」を含む「村山知義」の記事については、「村山知義」の概要を参照ください。

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