街頭で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/05 22:02 UTC 版)
「スタンリー・グリーン (サンドイッチマン)」の記事における「街頭で」の解説
グリーンは、自らの使命に、53歳だった1968年6月から取り組み始めた。最初は、毎週土曜日にロンドン北西部のハロウ(Harrow)へ出かけていたが、半年後にはフルタイムでオックスフォード・ストリートに出るようになった。ノーソルトからは、当初は自転車で通っており、看板を自転車に括り付け、12マイル (19 km)の道のりを片道2時間かけていたが、これは、65歳になってバスの無料パスが与えられるまで続けられた。 グリーンは早起きで、朝食にポリッジを食べた後、パンを作り — パンは彼が出かけている間に発酵し夕食時に焼けるようになる — さらに、ブンゼンバーナーを使って昼食を作る。この昼食は、午後2時半に、オックスフォード・ストリート近くの「暖かい秘密の場所」で食べることになっていた。グリーンは毎週6日、午後6時半まで、買い物客の間を縫ってオックスフォード・ストリートを行ったり来たり歩き続けていたが、1985年以降は毎週4日に回数を減らした。土曜の夕方には、映画の観客が集まるレスター・スクウェアに場所を移していた。就寝は深夜0時半ころで、お祈りをしてから床に入った。「とてもいいお祈りですよ、利己的でないしね」とグリーンは「サンデー・タイムズ」紙に語っている。 著書『London: The Biography』で、ピーター・アクロイド(Peter Ackroyd)は、グリーンはほとんど無視されていたのだが、やがて「大都市ロンドンの無関心と忘却を痛烈に象徴する存在」となっていった、と述べている。グリーンは、若い女性に低タンパク質の食事を薦める理由を「結婚初夜に、新郎に対して、処女であるふりをして騙す必要がないから」だと述べていたが — これは好意的に受け取られないこともあり、迷惑行為を理由として、1980年と1985年に、2度逮捕されるきっかけにもなった。「こんな善いことをしているのに、こんな不正義がまかり通るなんて驚いたよ」とグリーンは語っている。一日の仕事を終えた後に、帽子に唾吐きの跡が残っていた事が何度もあったので、吐かれる唾から身を守るため外套を着るようになった。
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