最初の小説
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「ウィリアム・スタイロン」の記事における「最初の小説」の解説
大学を1947年に卒業したスタイロンはニューヨーク市のマグローヒル社で編集者の職に就いた。スタイロンは後の小説『ソフィーの選択』の中で自叙伝的な記述を入れこの時の仕事の惨めさを思い起こしているが、雇用主に彼をクビにするよう仕向け、一心に最初の小説に取り掛かった。3年後の1951年、その小説『暗闇に横たわれ』を出版した。これは機能しなくなったバージニアの家庭で若い女性を自殺に追いやる話であった。この小説は批評家の圧倒的な賞賛を得て、ローマのアメリカン・アカデミーと芸術・文学アメリカン・アカデミーによる権威有るローマ賞を受賞した。しかし、朝鮮戦争のために再召集が掛かり、直ぐに賞を受け取ることができなかった。スタイロンは1952年に眼疾患が原因で退役し、ノースカロライナ州キャンプ・ルジューンでの体験を短編『長い行進』(The Long March)に仕上げ、翌1953年に連作で出版した。 スタイロンはその後ヨーロッパで長期間を過ごした。パリに居るときにロマン・ゲアリー、ジョージ・プリンプトン、ピーター・マシーセン、ジェイムズ・ボールドウィン、ジェイムズ・ジョーンズ、およびアーウィン・ショー等と知り合った。この集団は1953年にパリ・レビューを創刊して話題になった。 スタイロンにとって1953年は出来事の多い年であった。やっとローマ賞を受賞するためにイタリアへ旅行した。アメリカン・アカデミーで前の年にジョンズ・ホプキンス大学で紹介されたことのある若きボルチモアの詩人ローズ・バーガンダーと出会い、親交を再開した。二人は1953年の春にローマで結婚した。CBS の90分ドラマシリーズ「プレイハウス90」のエピソード『長い行進』(1958年放映)は前述の中編小説に基づいている。 この時期のスタイロンの経験は後に『この家に火を着けろ』(Set This House on Fire、1960年)になった。この小説はフランスのリビエラ海岸にいるアメリカの知識人海外居住者についてのものだった。肯定否定両面のある批評を受け、ある批評家はメロドラマであり洗練された作りになっていないと言って攻撃した。しかし、この小説はヨーロッパで遙かに違った受け取られ方をし、その翻訳書はベストセラーになりアメリカでの売り上げを凌いだ。出版者にとってはそれだけでも成功と考えられた。
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