最初の巡洋艦作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 14:50 UTC 版)
「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の記事における「最初の巡洋艦作戦」の解説
エッセン艦隊司令官は、ドイツ艦隊の行動に反撃を加えるため戦力の増強に力を傾注した。かねてから考えられていたように、「最初の襲撃は月のない夜にドイツ人へ仕掛ける」ことになった。1914年9月14日から16日 にかけて、エッセン提督はリューリクを旗艦に、パルラーダとともにドイツ方への襲撃作戦を実行した。バルト艦隊における巡洋艦作戦本格化の始まりである。ドイツの東部島嶼部哨戒線を撃滅するため、エッセン提督は個人的に巡洋艦隊を召集した。9月14日午前8時、旗艦リューリクは南のボーンホルム島を目指してフィンランド・ラプヴィクから出港した。 同日午前11時近く、リューリクにパルラーダとバヤーンが合流した。しかし、バヤーンは湾入り口にて哨戒任務に残るよう命じられたため、やがて出撃部隊から離脱した。ボーンホルム島への遠征は、極めて困難な条件下で行われた。11 バールの強烈な時化と、それによる視界不良が航行を妨げた。航行速度はせいぜい3 - 4 knにしかならず、船体は大きく振動して会敵の際に正確な砲撃ができるとは思えなかった。ロシア艦隊は2 昼夜航行を続けたが、その間ドイツの哨戒部隊は発見できなかった。9月16日夕刻には、リューリクとパルラーダはロシア領海に戻ってエレ島に投錨した。
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