最初の属人区となったオプス・デイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 01:22 UTC 版)
「属人区」の記事における「最初の属人区となったオプス・デイ」の解説
教皇パウロ6世とその後継者により、オプス・デイを属人区とする可能性が検討され始め、1969年から1981年にかけて聖座とオプス・デイが参加したうえで属人区になるための準備作業が行われた。1981年、適用のための作業が完了したので、聖座はオプス・デイが存在する教区の司教方2千名以上に報告書を送り、意見を要請した。その結果、1982年に聖ヨハネ・パウロ2世教皇によって公布された使徒憲章「Ut sit(ウット・シット)」の中でオプス・デイは属人区として認められた。同時に、オプス・デイの総長であったアルバロ・デル・ポルティーリョが同教皇により属人区長に任命された。創立者ホセマリア・エスクリバー(1902年-1975年)が死去してから7年後のことであった。
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