最初の崩壊と「"Socrates"」の生存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:14 UTC 版)
「アシュタビューラ川鉄道災害」の記事における「最初の崩壊と「"Socrates"」の生存」の解説
No. 5は午後7時5分にクリーブランドに到着する予定であったが、しかし午後7時30分ころにそれはちょうどアシュタビューラに到達しようとしていた――予定より1時間53分遅れ。約30分前に、LS&MSのNo. 8客車がアシュタビューラ川橋を無事通過し、東に向かった。アシュタビューラ川に架かる橋は、アシュタビューラ駅の東約1,000フィート (300 m)にあったし、機関車は橋の東約66 - 99フィート (20 - 30 m)で蒸気を遮断し(ドライブへの力を遮断)、列車が駅に滑り込むことができるようにした。『Pacific Express』は、橋を渡ったとき、10 - 15マイル毎時 (16 - 24 km/h)であった(機関車の機関士らによると)。視程は事実上存在しなかった、せいぜい車両長1つか2つであった。 「"Socrates"」が西の橋台に近づくと、機関士ダニエル・マクガイアはクラックが聞こえ、機関車がゆっくりと下に落ちるのを感じた。橋が自分の下で崩壊していることに気づき、彼はスロットルを最大に開いた。車両11両の重量が背後の「"Columbia"」を引き始めたちょうどそのとき、「"Socrates"」が前によろめいた。機関車2両の連結がスナップ音をたてて切れ、それで「"Socrates"」は橋を離れることができた。彼の炭水車の後部ボギー台車はちゅうに浮いたが、しかし、「"Socrates"」の前進運動は炭水車を前進させたし、それはレールと堅固な地面を取り戻した。マクガイアは「"Socrates"」を、軌道を約100ヤード (91 m)下ったところに停止させ、繰り返し笛を鳴らしたり、警鐘を鳴らしたりし始めた。
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