最初の実験線とは? わかりやすく解説

最初の実験線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)

日本の鉄道史」の記事における「最初の実験線」の解説

1865年元治2年)、現在の長崎電気軌道 メディカルセンター電停付近に相当する600 mの区間で、トーマス・グラバー日本人鉄道紹介するためにレール敷設して長崎の人達を乗せて走った編成蒸気機関車「アイアンデューク号」と客車2両。現在もモニュメント残っている。 この際使われ機関車について長崎史談会幹事務め井手勝摩が調査行っており、武藤長蔵講演内容と、それに引用されたアレキサンダー・クラークの記録、これらと中国の鉄道史を勘案し鉄道ピクトリアル1960年昭和35年1月号に発表した小熊米雄の記事県立長崎図書館館長時代本馬貞夫発見したデモ走行実見した平松右衛門旅行記内容突き合わせている。その結果グラバージャーディン・マセソン香港支店経由輸入したものは、元々呉淞鉄道のためにイギリスから香港送られたもので、軌間762 mm小形機関車客車であり、その後再び中国に渡るが、上海ではなく北京デモ走行行ったではないか、としている。 この説が正しいとすれば、ブロードゲージ(7 ft 1⁄4 in = 2,140 mm)の高速機で、1865年当時英国現役にあったグレート・ウェスタン鉄道のアイアン・デューク号(1847年製造 - 1871年廃車)とは名前こそ同じであるが、全くの別物であった考えられる。現在長崎市にあるモニュメント描かれ機関車グレート・ウェスタン鉄道のアイアンデューク級であり、よって、これも史実とは異なることなる。

※この「最初の実験線」の解説は、「日本の鉄道史」の解説の一部です。
「最初の実験線」を含む「日本の鉄道史」の記事については、「日本の鉄道史」の概要を参照ください。

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