高速機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 08:19 UTC 版)
もう一つは、現代の目から見れば意外な事に高速機としてであった。 高揚力装置が未発達だった当時は、大型機の離陸には(後の時代の同程度の翼面荷重の航空機と比べて)長大な滑走距離を必要とした。そのため高速を狙った高翼面荷重の航空機を設計しようにも、おのずと限度があった。前述の様にほぼ無制限の滑走距離をとれる水上でのみ、高翼面荷重の機体の設計が可能だったのである。もちろん飛行艇だろうがフロート機だろうが、機体体積(前面投影面積)は陸上機より大きくなり、重量と空気抵抗の面で不利となる。しかし翼面荷重を高くする(つまり主翼を小さくして空気抵抗を減らす)効果は、フロートなどを持つ不利を補って余りある結果となったのである。 これは水上機の発達を願って設けられたレースであるシュナイダー・トロフィーが各国の国威発揚の場となるにいたってさらに加速した。各国はこのレースのために技術の粋を結集して、盛んに高性能水上機の開発を行ったため、1927年から1939年までの短い間ではあったが、世界最速の乗り物といえば水上機を指した時代があったのである。実際に、イタリアの水上機マッキM.C.72はレシプロ機であったにもかかわらず、1934年に709.21 km/hの記録を残し、その速度は約10年後に飛んだ初期のジェット機よりも高速であった。 だが1930年代において最初の高揚力装置であるフラップが実用化され、また飛行場の滑走路も長大なものが整備されるようになると、陸上機においても従来よりも高翼面荷重の機体の開発が可能になり、高速機分野での水上機の利点は失われた。 なお、マッキM.C.72の記録はレシプロ水上機の速度記録としては現在も破られておらず、高速機としてのレシプロ水上機がもはや新規開発されないであろう事を考えると、これからも破られることは無いと言われている。
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