新進気鋭時代とは? わかりやすく解説

新進気鋭時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 17:37 UTC 版)

村山知義」の記事における「新進気鋭時代」の解説

1922年大正11年1月処女出版童話画集ロビン・フッド』(婦人之友社)刊、ベルリンへ出発する表現派構成派の美術演劇舞踊に魅せられ学業断念した。秋、ミュンヘン万国美術館2点入選する。1923年1月帰国し直後2月19日付『読売新聞』には早速「構成派と触覚主義ドイツ美術界新傾向―」を寄せた5月自宅の上落合にて個展村山知義意識的構成主義小品展覧会開催7月初め門脇晋郎、大浦尾形亀之助柳瀬正夢らと前衛美術団体マヴォ結成7月28日から8月3日まで、マヴォ第一回展覧会が浅草伝法院にて行われる7月機関誌Mavo創刊9月1日関東大震災都市機能壊滅遭遇しバラック建築設計にも関わった。マヴォ理髪店、バー・オララ、吉行美容室吉行あぐりの店)などが知られ今和次郎バラック装飾社とともに震災後建築界で異彩を放った1924年10月映画館葵館緞帳制作1924年11月芸術論集『現在の芸術未来芸術』(長隆書店)刊。12月築地小劇場公演ゲオルグ・カイザー作、土方与志演出朝から夜中まで」の舞台装置制作日本最初構成派の舞台装置で、村山がはじめて手がけた演劇上の仕事である。この年岡内籌子(村山籌子)と結婚1925年7月今東光らと『文党』創刊この頃より次第前衛芸術運動からは遠ざかり9月22日朝刊の『東京朝日新聞』「学芸だより」に村山マヴォ脱退記事がある。

※この「新進気鋭時代」の解説は、「村山知義」の解説の一部です。
「新進気鋭時代」を含む「村山知義」の記事については、「村山知義」の概要を参照ください。

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