新進気鋭の作曲家
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「ベドルジハ・スメタナ」の記事における「新進気鋭の作曲家」の解説
1850年、スメタナの革命に近い思想にもかかわらず、彼はプラハ城におけるフェルディナント1世の常任宮廷ピアニストの職を手に入れる。スメタナは、ピアノ学校での教鞭をとりながら、ますます作曲に打ち込むようになった。彼の楽曲は、主にピアノのための楽曲で、その中には3パートからなる『婚礼の情景』や、後に『売られた花嫁』に使われる楽曲のいくつかがこの時期に作曲されている。またスメタナは、多くの実験的作品を書き、『6つのアルバムの綴り』という名前に集めている。また、ポルカのシリーズも書いている。1853年から1854年の間、スメタナは管弦楽曲『祝典交響曲』の作曲を行っている。同曲は、フランツ・ヨーゼフ1世の成婚を記念して作曲された。この交響曲は、当時のオーストリア帝国国歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』の参照が十分目立っていないという理由で、皇帝側から受け取りを拒否された。上演阻止はされなかったため、スメタナは自費でオーケストラを雇い、1855年2月26日、プラハのコンヴィクト・ホールで同交響曲を上演している。この交響曲は冷淡な反応を受け、コンサートは金銭的失敗に終わった。
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