建物について
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敷地内の建物は書斎、居間、客間、中庭などを内包する大きな主家と、屏風の制作を行っていた存古楼(ぞんころう)と呼ばれる画室を中心として構成されている。 庭園の南部分には憩寂庵(けいじゃくあん)、倚翠亭(いすいてい)、如舫亭(にょほうてい)<誤って問魚亭(もんぎょてい)と呼称されている>と呼ばれる茶室群が存在している。憩寂庵は高台寺圓徳院写しの茶室となっている。 2014年には2階建の美術館が新たに開館し、関雪の作品や蒐集品が展示されている。
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建物について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 00:58 UTC 版)
ウィキソースに海老名村役場新築工事の契約書の原文があります。 1982年(昭和57年)以降、海老名市温故館として使用されている建物は、1918年(大正7年)4月に海老名村役場として建設された建物である。1889年(明治22年)に発足した海老名村では、1910年(明治43年)の国分大火によって役場が焼失してしまい、相模国分寺の庫裏を仮庁舎としていたが、1916年(大正5年)頃から再建計画が練られ、1918年(大正7年)に竣工した。 建物は木造二階建て、桟瓦葺きで、外壁はドイツ下見板(箱目地下見)であった。温故館の最大の建築的特徴は正面の玄関ポーチに見られ、バージボードと呼ばれる飾り破風、柱頭飾り、垂れ飾りなどがしつらえられており、装飾は直線的かつシンプルなものとなっている。 このような建築様式は郡役所様式と呼ばれ、明治から大正期の役場などに多く見られるもので、最も多く建設されたのが洋風木造の二階建ての建物であった。海老名村役場は建物の外観は洋風建築であるが、小屋組み、土台などは日本古来の建築方法を採用した和洋折衷の建物であり、海老名村国分の大工、藤井熊太郎によって設計、施工が行われた。海老名村役場は当初、一階は事務所、二階は村議会が使用していたと言われている。 1918年(大正7年)に建設された役場は、1940年(昭和15年)の町制施行を経て1966年(昭和41年)10月まで役場として使用された。この間、1951年(昭和26年)、1957年(昭和32年)の二回、増築工事が行われ、内装についても増築時を含めて数回改装された。 役場が移転した1966年(昭和41年)以降、商工会議所が入居した。しかし建物の老朽化が進んだため、1980年(昭和55年)に商工会議所も移転し、解体が計画された。しかし由緒ある旧役場を保存して欲しいとの声が市民から挙がったため、建物は保存されることとなった。そして旧役場保存決定と同時期に、海老名駅前再開発の影響で海老名駅近くのプレハブ造りの温故館が移転せねばならなくなったため、移転先として旧役場庁舎が充てられることになり、補修改装の上、1982年(昭和57年)10月から温故館として使用されるようになった。 その後は海老名市の郷土資料の資料館として利用され続け、1990年(平成2年)には関東大震災前に建てられた貴重な大正時代の郡役所様式建築として「かながわの建築物100選」に選出された。しかし耐震診断の結果、震度6程度の地震で倒壊する恐れがあるとされたため、2006年(平成18年)9月から休館となり、温故館の展示品は、海老名市文化会館内に設置された海老名市郷土資料展示コーナーに移して展示されることになった。温故館の建物については再び解体、保存についての協議がなされたが、海老名市民による保存運動が行われたことや貴重な近代建築遺構であることが評価され、2008年(平成20年)12月に補修したうえでの移築保存が決定された。2011年(平成23年)3月、現在地の国分南一丁目6番36号に移築が完成し、移築保存成った建物に海老名市郷土資料展示コーナーから展示品が戻され、同年4月、温故館は再開館した。 神奈川県内には、神奈川県庁舎、川崎市役所、旧横須賀市田浦支所など、戦前の地方庁舎建築がいくつか残っているが、中でも温故館は現存する最古の地方庁舎建築である。また、温故館は岩手県の旧紫波郡役所などとともに現存する郡役所様式の建物としても貴重な存在である。
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建物について
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「KDDI デザイニングスタジオ」の記事における「建物について」の解説
メインフロアは楕円の形状をしており、その周囲にスロープを配して、来場者はそれを用いて各階を上下に移動する。外観はガラスカーテンウォール貼り。カフェのある5階には屋上緑化が施されていた。2005年度グッドデザイン賞を新領域デザイン部門で受賞している。
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建物について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 10:01 UTC 版)
George Edmund Street設計のこの建物は巨大で、東西に140メートル、南北に140メートル、高さ75メートルの大きさを誇る。建設にはポートランド石の煉瓦が3500万個も使われており、部屋数は1000を超え、廊下の長さを合計すると約5.6キロメートルにもなるという。この建物は現在第一級指定建築物(Listed_building)となっており、法律で保護されている 。 王立裁判所は、1866年に英国議会が最高裁判所施設の建設を決めてから、11の設計案の吟味、建設予定地の立ち退きとその補償、建設労働者のストライキなど紆余曲折と8年間の建設期間を経て、1882年12月4日にヴィクトリア女王の手により開設された。設計者のGeorge Edmund Streetはこの建物の完成をみることなく亡くなった。 時代が進むにつれ、司法業務は増大していき、王立裁判所も手狭になってきた。そこで1912年には離婚法廷を扱う部門が入る建物が増築された。この法廷は裁判所初のエアコン付き法廷である。1968年にも増築が行われ、地下に独房も作られ、刑事裁判に用いられたが、現在では家族関連の訴訟を行っている。
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建物について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/26 14:54 UTC 版)
昭和20年に創設され、蚕糸記念館、旧郵便局舎跡で開館してきたが、主館は2階で不便であったり狭かったりで、新図書館を建設することとなった。日本図書館協会の指導により、条件を整えて1978年(昭和53年)、コンペを行ない、建築家3名、図書館3名による審査の結果、全員一致で決定された。決定された案は、プログラムの要求を最もよく満たし、限られた職員による運営に配慮されているとの評であった。なお、第1回日本図書館協会建築賞・特定賞(1985年)を受賞している。 エントランス 館内 利用者用座席
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建物について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 05:38 UTC 版)
1983年度中に篠原一男が建築を担当することが決定し、1986年10月に着工、1987年9月に竣工、11月3日に竣工式典が行われた。 東京工業大学博物館の建物は地下1階、地上4階、塔屋1階建ての一部鉄骨造の鉄筋コンクリート造で、8m×21m、8m×31mの2つの矩形を斜線で結んだ複合体と、その複合体の上部に固定された半円柱面からなる。半円柱面の外装にはステンレススチール板を、直方体部分の外装にはアルミニウム板を用いている。篠原は「零度の機械」「プログレッシブ・アナーキー」という概念を提示し、特異な半円柱面を大学のキャンパスと街との会話の記号としてとらえている。
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建物について
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「大江戸温泉物語 日光霧降」の記事における「建物について」の解説
プリツカー賞を受賞したポストモダンの著名外国人建築家であるロバート・ヴェンチューリによる設計のため、特異なインテリア及びエクステリアデザインが施してある。また内部には、マルセル・ブロイヤーのワシリーチェアやミース・ファン・デル・ローエによるブルーノチェアなどが配してあり、従来の温泉宿とは一線を画す空間となっている。
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建物について
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「三井ガーデンホテル船橋ららぽーと」の記事における「建物について」の解説
単純明快でシャープな外観は、低層部が一辺65mの正方形で、中庭の周囲にロビーやレストラン、宴会場を配置した。その上が、45角モザイクタイル打ち込みのカーテンウォールで外壁を仕上げた客室部となっており、東西それぞれのフレームを無梁板スラブで連結の上で、廊下の天井内に空調などの設備を集約した。客室階の通路にある柱は、低層部を自由に設計できるよう、3階でY字に絞って一本の柱にし、2階以下につないでいる。 埋立地で緑が少ない事に加え、ロビーやラウンジ周辺を舞台もしくは観客席として位置付ける意図のもと、敷地計画の中心に据えられた露壇式の中庭は、緑あふれるテラス・四季折々の花が咲く階段・滝の3要素で構成されており、イベントの開催にも対応していた。なお、設計の初期段階では屋根を設けてアトリウムとする計画だったが、屋根なしに変更されている。 開業当初の客室数は243室で、敷地西側にはプールのほか、別棟としてチャペルが設けられた。1986年にBCS賞を受賞している。
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建物について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 12:08 UTC 版)
現在は主に東西に伸びる二つの建物から構成されているが、当初は西側(国道11号側)のみであり東側(主に食品コーナー、エディオン)の建物は2002年に増設されたものである。この西側の建物は当初2階建て+屋上駐車場と言う構成であったためか、屋上駐車場のスペースの幾分かを利用しているシネマサンシャインの設置にはいささか強引なところが見られる。(またその影響で駐車場が袋小路状になっている。)尚、東側の建物には屋上駐車場は設置されていない。 この他本館以外に別個の飲食店が集まるグルメアヴェニュー重信や、レデイ薬局やVoceが出店している専門店棟がある。 1993年6月30日に開業し、当初はフジ重信店だった。2000年に隣接するNTTグランドの跡地をDCMダイキ重信店と共にNTTから賃借する形で土地を譲受け、2001年に工事着手し、2002年3月1日にグランモールとグランヴェスタ(現:食品館)が開業しフジグラン重信に改称。2002年3月29日に全館開業となった。 2003年7月5日、重信シネマサンシャイン開業。重信町は1960年代に「ユニオン劇場」という映画館があったが、それ以降シネマサンシャインまで常設型の映画館が存在しなかった。 2003年12月、愛媛県松山市南梅本町1303-1(第4駐車場内)にグルメアヴェニュー棟、FITTA、立体駐車場が完成。 2004年9月21日、重信町と川内町が合併したことにより東温市となった為、所在地が東温市野田3丁目となる。 2007年9月、新グランフジ(現:生活館)が完成。旧グランフジには11月にデオデオ(現:エディオン)の鷹子店が移転し、フジグラン重信店として入居している。 おおまかな構成としては、 1階西:フードコート・衣料品・郵便局・旅行 2階西:ゲームセンター・玩具・衣料品 3階西:駐車場・映画館 1階東:食品 2階東:電器・書籍・家庭用品 なお東側にはDCMダイキ重信店があり、建物はつながっていないが駐車場は一部つながっている。 2016年7月15日に、耐震工事とテナントの大幅入れ替えを終え、リフレッシュオープンした。
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建物について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 14:55 UTC 版)
建物は1895年(明治28年)から1968年(昭和43年)まで高山町役場(1936年(昭和11年)11月からは市役所)として使用されていた建物で、その後1986年(昭和61年)までは公民館として使用されていた。「旧高山町役場 附棟札及び新築関係書類」として高山市指定文化財となっている。 南北ふたつの土蔵で構成された和洋折衷の2階建て(間口21.88m、奥行11.8mの総檜造り) 高山で最初に硝子障子(ガラス窓)が導入された。 棟梁は坂下甚吉。
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