建物と設備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 22:16 UTC 版)
教皇ヨハネ・パウロ2世は、2度のコンクラーヴェに参加した経験から、そのプロセスを高齢の枢機卿にとってより快適で負担の少ないものとするため、サン・マルタ館の建設を決めた。ヨハネ・パウロ2世は、「コンクラーヴェ以外にも、国務省(英語版)の職員や、可能な限り他の教皇庁の職員にも提供し、教皇との会見や催事、聖座主催の会合のためにバチカンを訪問する枢機卿や司教にも役立つものとする」ことを求めた。実際には民間人も宿泊している。 建設は「近隣の建物からサン・ピエトロ大聖堂が見えなくなる」としてイタリアの環境保護団体や政治家の反対を受けた。これに対してバチカンの技術部門長は「高さは周囲の建物よりも低い」と反論し、バチカンが領域内に建築する権利への挑戦を一蹴した。 建設費は2,000万ドルであったが、うち1,300万ドルはペンシルバニア州ピッツバーグのカジノ主であるジョン・E・コネリー(英語版)が寄付を申し出た。彼はのちにバチカンの絵画の複製をアメリカ国内で販売する契約を結んでいる。コネリーは彼の事業が資金難に陥ったため当初の約束を果たせず、ピッツバーグ以外にも事業を拡大するのに失敗すると絵画の販売契約も取り消しになった。コネリーは建物の設計にピッツバーグの建築家ルイス・D・アストリノを推薦したが、彼の設計は受け入れられなかった。しかし、設計監督としては留まり、隣接する聖霊礼拝堂を設計している。礼拝堂はレオ4世の時代に作られた市壁とサン・マルコ館の間に建っている。 5階建ての建物は、106のスイートルームと22の客室、1つのアパートメントからなっており、聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会が運営している。寝室と洗面所、書斎が備えられており、ダイニングの設備や人的サービスも受けられるようになっている。2008年から2009年の間、駐バチカンアメリカ合衆国大使を務めたメアリー・アン・グレンダン(英語版)は「豪華ではないが、快適である」と感想を述べている。
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