明治天皇駐蹕之処の碑
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明治天皇駐蹕之処の碑(めいじてんのうちゅうひつのところのひ)は、千葉県船橋市に所在する記念碑。1978年(昭和43年)12月19日に「習志野地名発祥の地 附 明治天皇駐蹕之処の碑」の名称で船橋市指定史跡に附指定されている[1]。習志野名所のひとつ。
概要
駐蹕(ちゅうひつ)とは、天子が行幸の途中で一時乗り物を停めること。一時、その土地に駐留することを指し、駐輦(ちゅうれん)と同義である[2]。江戸幕府直轄の小金牧の一部だった大和田原で、1873年(明治6年)4月29日から5月1日、明治天皇が近衛兵を率いて野営し演習を天覧した[3]。皇居に還幸した後、5月13日、この地を「習志野原」と命名した[4]。その故事を記念するため、陸軍省の認可を得て、“明治50年”に相当する1917年(大正6年)10月に、陸軍省を中心とする有志によって碑が建立された。
石碑
高さ3.9メートル、幅1.6メートルの仙台石製。船橋市本町の石国の職人が文字を担当した。文字は陸軍大将山縣有朋の筆。石碑の裏には、明治天皇がここに露営し、演習を統監したこと、この地が演習に適すると認め、永く陸軍操錬場と定めたことが記されている。
所在地と地名
この石碑の所在地は当初、明治天皇が天幕を張ったとされる場所[5](船橋市習志野台四丁目59番)に建っていたが、現在は船橋市郷土資料館近くの薬円台公園内に移されている。
この石碑が元々建っていた習志野台四丁目59番付近は御幸台と呼ばれ、明治期の小字、戦後の習志野開拓時代の地区名、現在の習志野台4丁目町内会の名前、周辺にある船橋市立薬円台小学校の校歌にも「御幸台から登る日の…」という歌語で見受けられる。
写真
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1917年頃
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1980年
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2005年
交通
脚注
参考文献
- 船橋市郷土資料館『地域研究資料3 薬園台の歴史 正伯物語』2003年(平成15年)3月31日
- 習友会、開拓50周年記念誌『砂塵を越えて』1995年(平成7年)
- 船橋市郷土資料館『絵はがき写真に残された明治~大正~昭和-』2005年(平成17年)3月23日
- 船橋市立薬円台小学校公式ホームページ
関連項目
座標: 北緯35度42分41.8秒 東経140度02分56.6秒 / 北緯35.711611度 東経140.049056度
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