平家物語の描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 10:00 UTC 版)
嘉応2年(1170年)10月16日、参内途上の基房の車列が鷹狩の帰途にあった平重盛の次男・資盛の一行と鉢合わせをした。資盛が下馬の礼をとらないことに怒った基房の従者達が資盛を馬上から引き摺り下ろして辱めを加えた。 これを聞いた祖父の清盛は、10月21日に行われた新帝元服加冠の儀のため参内する基房の車列を300騎の兵で襲撃し、基房の随身たちを馬から引き摺り下ろして髻を切り落とし、基房の牛車の簾を引き剥がすなどの報復を行い、基房は参内できず大恥をかいた。これを聞いた重盛は騒動に参加した侍たちを勘当した他、資盛を伊勢国で謹慎させた。これを聞いた人々は平家の悪行を怒ると共に重盛を褒め称えた。 重盛が報復の主導者であると解釈している研究者は、『平家物語』における記述は、清盛を悪役、重盛を平家一門の良識派として描写する、物語の構成上の演出であると考えられている。
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