制作技法
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キャンバスにリキテックス(アクリル絵具の一種)で描かれている。1991年6月9日、1992年8月6日、1993年2月20日の日付絵画には、制作開始から完成までのプロセスを撮影した写真が残されている。写真によると、1991年6月9日の日付絵画は午前9時41分に制作が開始され(写真の中に置き時計が写っているので時間がわかる)、午後6時52分にはほぼ完成、細かい修正を終えて最終的に完成するのは午後9時20分である。背景色は全部で4層を塗り重ねている。日付の文字はステンシル等を用いたものではなく、背景色の上に入念に下書きをして手作業で描かれ、x-acto(エグザクト)のアートナイフを用いて微細な修正が施されている。完成作品を見ると、筆跡が全く見えないほど完璧な仕上げがなされている。背景色は黒っぽいものが多いが、完全な黒ではなく、作品によって微妙に色調が異なっている。また赤系統、青系統の背景色の作品もある。
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制作技法
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「風の谷のナウシカ (映画)」の記事における「制作技法」の解説
王蟲の登場シーンでは巨大さと重量感を表現するためにハーモニー処理が用いられ、さらに体節の動きを再現する為に、パーツをゴムで繋いで伸縮させるゴムマルチという方法で撮影している。王蟲の鳴き声は当時BOØWYに在籍していた布袋寅泰によるギターの音が使われた。 劇中の防毒マスク装着時の会話シーンの収録は、様々な試行錯誤の末、紙コップにゴムをつけた特製マスクを声優が装着して行われた。
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制作技法
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「バイユーのタペストリー」の記事における「制作技法」の解説
亜麻製の糸で織った薄い布に、毛糸による刺繍を施す事によって、絵を描いている。したがって、タペストリーと称されているものの、実際には織物ではなく刺繍作品である。亜麻の布地に、青、茜、黄色などで染色された毛糸が使用されている。刺繍技法としては、線を描くアウトライン・ステッチを基本に、バイユー・ステッチ(point de Bayeux)と呼ばれる、輪郭の内側を糸で密に埋めてゆく手法が用いられている。
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制作技法
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「システィーナ礼拝堂天井画」の記事における「制作技法」の解説
ミケランジェロは、礼拝堂の天井に手が届くように、天井画制作用の足場を自ら設計した。床面から足場を組み立てたとしたら巨大な構造物になってしまうが、ミケランジェロは側壁の窓の上あたりに穴を開け、そこから支えの腕木を出し、そこに木造の平台を載せて足場とした。天井画制作は3場面ずつ3段階に分けて行われ、足場が天井全体を覆ってしまうことはなかった。 ミケランジェロの弟子で伝記作者でもあるコンディーヴィの記録するところによると、中央の足場とその両脇の階段(ルネッタやペンデンティヴ部分を描くのに用いた)、これらを支持するための腕木と枠がまず取り付けられ、これらの下には垂れ落ちる漆喰、ごみ、顔料の飛沫などを受け止めるための軽い幕(おそらく布製)がぶら下がっていた。足場は天井の半分のみを覆っていた。 天井画に用いられた技法はフレスコ、すなわち、生乾きの漆喰の上に描く壁画制作技法である。ミケランジェロはギルランダイオの工房で修業中にこの技法を経験している。ギルランダイオはフィレンツェにおけるもっとも有能かつ多作なフレスコ画家の一人であり、フィレンツェ市内のいくつかの教会の重要なフレスコ画を制作したほか、システィーナ礼拝堂側壁の壁画制作にも参加している。当初、イントーナコ(上塗り漆喰)の湿り気が多すぎるためにカビが発生し、ミケランジェロはカビを除去してから制作にとりかからねばならなかった。その後彼は、助手の一人であるヤコポ・トルニ(リンダーコ)の考案した、新しい漆喰調合法を試みた。この調合法はカビを寄せ付けず、その後のイタリア建築の伝統に組み入れられるものとなった。 フレスコ画は、壁の漆喰が生乾きのうちに描き終えねばならないので、毎日、その日に新たに描く壁の面積分(ジョルナータ)だけの上塗り漆喰が塗られる。次の部分を制作する際は、縁のはみ出した漆喰を削り取った上で、その日のジョルナータ分の上塗り漆喰が塗られる。こうした制作法が用いられたことは、天井画よりも祭壇画の『最後の審判』の方でより明白に分かる。ミケランジェロがフレスコ技法を採用したのは、漆喰が完全に乾いた状態で描く(フレスコに対して「セッコ」という)技法では、フレスコ画のような自由な筆遣いがしにくいことと、フレスコの場合と違って、顔料が漆喰と一体化しないことによる。一方、フレスコの欠点は漆喰を新たに塗る際に熱くなり、蒸気を吹き出す点である。 フレスコ画家は、制作にあたって原寸大の細密な下絵(カルトーネ)を用い、図柄を漆喰の表面に写し取るのが通例であった。多くのフレスコ画には、下絵の線に沿って、尖ったもので空けられた小穴が残っている。しかし、これらのルネッタにおいて、ミケランジェロは伝統を破り、いったんフレスコ技法に自信を付けてからは下描きなしで画面に直接描き込んでいる。ミケランジェロの力強い描線が画面に食い込んでいる箇所がある。一方ではグリッド(格子)がみられる箇所もあり、彼が小さな下絵を画面に直接拡大したことを示している。彼は生乾きの漆喰の上に水で溶いた顔料を用いて、広い色面を塗る。その後、漆喰がやや乾いてくると、さまざまな筆を使いわけ、より線的な技法で陰影や細部を描き込んでいった。人物のひげや木の肌などの材質感を表現するためには、櫛の歯状にまばらに毛を植えた大筆を用いた。全体として、ミケランジェロの技法はフレスコの名手ギルランダイオの一番弟子にふさわしいものである。ミケランジェロは多彩な筆遣いと幅広い技術をもって、工房の伝統的手法と新しい工夫とを融合させているが、これは入念かつ正確な作風をもつギルランダイオにはなしえないものであった。 制作は、祭壇からもっとも遠い、正面入口側の天井から始められた。つまり、物語の時間的な進行順にしたがって描いていったのではなく、最後の場面が最初に描き始められたのである。最初に描かれた3場面(ノアの物語)は、後に描かれた場面に比べると、小さめの人物が多数描かれている。これは一つには、人類の運命を扱った主題の性質にもよるが、これらの場面が描かれている正面入口側の人物像は、イニューディ(青年裸体像)や預言者像も含め、天井の中央部分の人物よりも全体に小さく表されている。人物のスケールは、3番目のセクション(祭壇に近い側)ではさらに大きくなり、それにともなってミケランジェロの筆遣いも大きくなっている。最後に描かれた天地創造に携わる神の場面は1日で描かれている。 明るい色彩と太く明瞭な輪郭によって、各主題は床面からも見えやすくなっている。天井の高さにもかかわらず、『アダムの創造』の巨大な人物像は、その画面の下に立つと「あたかも鑑賞者が指を突き出せば、父なる神とアダムの指先に触れることができるように見える」。現在、画面の色彩は鮮烈で、春を思わせる薄いピンク、アップル・グリーン、明るい黄色、そしてスカイブルーが真珠のような温かみのある灰色の地に映えるが、かつてはロウソクの煤によって色彩が失われ、画面はほとんどモノクロームのように見えていた。1981年から1984年まで長期にわたって行われた修復作業により、汚れの膜が除去され、画面は色彩を取り戻した。 ヴァザーリによれば、この天井画は「未完成」だという。それは、この天井画が金箔とラピスラズリ(青色の顔料)による装飾を加える前に除幕されたからだという。金箔とラピスラズリの装飾を加えようとしたのは、それが当時のフレスコ画の通例であり、システィーナ礼拝堂の側壁の壁画は多くの金箔を使って飾られていたので、それと天井画との釣合いを取るためでもあった。しかし、この装飾は実現しなかった。それは一つには、ミケランジェロが再度制作用の足場を組むことに乗り気でなかったためでもあるが、おそらくもう一つの理由は、金色と、特に強烈な青の使用によって、ミケランジェロの制作意図が見えにくくなるおそれがあったためであろう。実際、天井の一部には金で装飾された箇所がある。青年裸体像群の間にある楯と、預言者像・巫女像の間にある柱の部分とである。楯の部分における金箔の使用は、ミケランジェロ自身が計画したものであった可能性が高い。これらの楯はある種の行進用の楯(実物が相当数現存している)に似せて描かれているからである。
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