ペンデンティヴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 18:29 UTC 版)
「システィーナ礼拝堂天井画」の記事における「ペンデンティヴ」の解説
礼拝堂の四隅には壁と天井の間にペンデンティヴがある。ミケランジェロはここにユダヤ人救済に関連する、聖書のエピソードを描いた。 青銅の蛇 ハマンの処刑 ダビデとゴリアテ ユディトとホロフェルネス はじめの二つのエピソードは中世、ルネサンス期のキリスト教学においてキリストの磔刑を予感させるものとされていた。「青銅の蛇」は旧約聖書の「民数記」のエピソードである。イスラエルの民が神に対して不平不満を述べたところ、神から使わされた毒蛇による災厄という罰を受けた。そして神はモーセに命じて青銅の蛇を作らせ、旗竿に掲げさせた。この青銅の蛇を見た人々は癒しの奇跡を得ることができたとする。 「ハマンの処刑」は旧約聖書のエステル記のエピソードである。ペルシアの宰相だったハマンが、ユダヤ人エステルの夫であるペルシア王クセルクセスを教唆してユダヤ人絶滅を布告させる。眠れない夜に宮廷日誌を調べていた王は、この布告が間違っていたのではないかと思いはじめた。このユダヤ人絶滅の策謀に気づいた王妃エステルはハマンを非難し、クセルクセス王はハマン自ら作った絞首台でハマンを処刑するように命じる。そして王の廷臣たちは、この命令を速やかに実行した。 残りの「ダビデとゴリアテ」は旧約聖書の「サムエル記」、「ユディトとホロフェルネス」は旧約聖書外典の「ユディト記」のエピソードで、イスラエルの救済を表現したものである。どちらもフィレンツェ派絵画では圧制者打倒のテーマとして何度も取り上げられている画題で、当時共和国だったフィレンツェでは人気のあるモチーフだった。 「ダビデとゴリアテ」を描いた絵画では、羊飼いのダビデが巨人ゴリアテを投石機で倒し、まだ息があり立ち上がろうとするゴリアテの首を斬るダビデが描かれている。 「ユディトとホロフェルネス」を表現した絵画はすべてが陰惨な雰囲気で描かれている。ユディトは切り落としたホロフェルネスの頭部を布で隠し、侍女に担がせた籠にのせて運ばせている。そしてユディトは自身が首を落とした屍体に取り乱しているかのように描かれている。 ホロフェルネスの殺害を描いた絵画と、礼拝堂の反対側のペンデンティヴのハマンの処刑を描いた絵画にはその構図に明確な関連を見ることができる。ホロフェルネス殺害の絵画は人物が小さく描かれ、その他の描き込みも多くはないが、どちらの絵画も垂直の壁面によって左右に二分割された三角形の構図となっており、分割された両側を見ることにより、何が起きたのかを理解することができる構成になっている。ハマンの絵画には三つの場面が描き出されており、それはハマンが処刑される場面、エステルとクセルクセス王とともにテーブルについている場面、ベッドにいるクセルクセス王の場面である。そして階段に座り込んで描かれている、ユダヤ人絶滅の布告のきっかけとなったエステルの養父モルデカイが、これらの場面をまとめあげる役割を果たすように描かれている。 「ダビデとゴリアテ」は二人の主人公を中心とした比較的単純な構成になっており、この二人以外の人物は傍観者であるかのように漠然と描かれている。対照的に「青銅の蛇」には毒蛇から身を守ろうとあがきそして死にいく人や、自分たちを救ってくれる青銅の蛇を振り向きざまに見上げる人など、様々な人物像が描写されている。この絵画こそが、システィーナ礼拝堂におけるミケランジェロのマニエリスム最初期の作品である。洪水伝説から始まる人間の苦悩をテーマとして取り上げ、後に描き上げる最後の審判まで昇華させたのである。
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