天井画の修復に対する批判点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/19 14:46 UTC 版)
「システィーナ礼拝堂壁画修復」の記事における「天井画の修復に対する批判点」の解説
システィーナ礼拝堂のフレスコ画修復でもっとも大きな批判にさらされているのは、ミケランジェロが描いた天井画の修復である。それまでの薄汚れた状態から鮮やかな色彩が表れたペンデンティヴ部分の「キリストの祖先たち」が、修復での洗浄作業がやりすぎなのではないかという疑念に拍車をかけた。ベックらは、疑問の声が数多く上がっていたにもかかわらず天井画の修復作業は進められてしまい、もっとも恐れていたことが現実となってしまったとしている。 修復チームは、ミケランジェロが普遍的なフレスコ技法で天井画を描いたと結論付け、自身たちの修復作業にも普遍的技法を採用した。そして、あらゆる動物性膠、煤、ロウなどの画肌を覆う沈着物と、初期の修復家による修正、後期の修復家による作品の外観を際立たせるような加筆などのこれまでの修復作業が、すべてある種の汚れであると位置づけた。この決定に従って修復チームの化学者たちが使用した溶剤が、汚れだけでなく顔料が摺りこまれていた漆喰層(湿式フレスコ技法のブオン・フレスコで描かれた層)近くまで侵食してしまったとピーター・レイン・アルギンボーは指摘している。さらに、溶剤が漆喰層表面の「汚れ」を除去してしまったために、漆喰層の上から乾式フレスコ技法のフレスコ・セッコで描かれていた層が「汚れ」として失われ、現在残っているのはブオン・フレスコで描かれた漆喰層だけになってしまったとアルギンボーは主張しているのである。 修復作業によってミケランジェロの天井画が損傷したという立場の研究者たちは、ミケランジェロが四年半におよぶ制作期間中に湿式フレスコ技法のブオン・フレスコのみを用い続けて、ちょっとした修正や細部の修正などにも他の技法は一切使用しなかったという修復チームの判断が根本的に間違いだったとする。アルギンボーも自身のウェブサイトで修復チームの責任者だったコラルッチの発言を引用しながら、その内容が二転三転した矛盾に満ちたものであると指摘している。アルギンボーの指摘を要約すると次のようになる。 今回の修復チームは作業の準備段階で、1930年代にシスティーナ礼拝堂天井画修復を担当した修復担当者たちと質疑応答を実施した。このときに以前の修復担当者たちは、ミケランジェロは画肌の仕上げないし画肌の艶出しにフレスコ・セッコを使用していると回答している。だがコラルッチはこの回答を無視し、ミケランジェロはブオン・フレスコだけで天井画を描いたと断言した。しかしながら後にコラルッチは、ミケランジェロはフレスコ・セッコも使用していたと意見を変え、ただし「ごく僅かな箇所」であり「ルネットではまったく使用されていない」と抗弁した。 その後コラルッチはミケランジェロの正確なブオン・フレスコ技法に言及したときに、ミケランジェロはルネットに描かれているエレアザルの肩とレハベアムの脚の修正にフレスコ・セッコを使用しているとして前言を翻している。さらにその後コラルッチは、ミケランジェロは「下絵から変更することなく」ブオン・フレスコで天井画を描いており、ごく僅かな修正しか行っていないとまたもや自説を変更した。 修復チームが、ミケランジェロが天井画に描いたすべての作品を理解し、制作技法をも把握したという、誤った判断を下したという批判は現在でも根強く残っている。天井画の修復をめぐる激しい論争は未解決のままである。
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