天井画の内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 18:29 UTC 版)
「システィーナ礼拝堂天井画」の記事における「天井画の内容」の解説
天井画の主題は、人類にはイエスを仲立ちとする神の救済が必要だという教義である。換言すれば、天井画の意味するところは以下のとおりである。神は世界を完全なるものとして創造し、そこに人類を創造した。しかし、人類は堕落してしまったので、神と隔てられ、死すべき運命を与えられるという罰を受けた。神は、預言者や巫女らを通し、救世主イエスが人類の罪をあがなうであろうと伝えた。神は、アダムから始まり、ダヴィデ王など、旧約聖書が伝える様々な人物たちを経て聖母マリアに至る系譜の後に救世主イエスを出現させた。天井画のさまざまな部分はこうした教義に関連している。 しかし、天井画には別の側面もある。15世紀のイタリア、殊にフィレンツェでは、古典文学と人文主義への関心が強かった。ミケランジェロは青年期に、フィレンツェのメディチ家が設立した人文主義アカデミーに通ったことがあり、ドナテッロのブロンズのダヴィデ像など、人文主義的な彫像に親しんでいた。フィレンツェ市庁舎であったパラッツォ・ヴェッキオ前の広場に設置された、巨大な大理石製のダヴィデの裸像を制作したミケランジェロ自身もこうした傾向に応えていた。人文主義者による人類の捉え方は、人は教会のような仲介者を介さずに、直接に他の人々、社会的責任、そして神に相対すべきだというものである。これは教会側の主張とは矛盾するものであった。教会が、人類は基本的に罪深く欠点のあるものだとするのに対し、人文主義者は人類を潜在的に高貴で美しいものとみなした。これら2つの視点は、教会にとって必ずしも和解不可能なものではなかった。ただし、この「魂、精神、肉体の高揚」は神の代理者としての教会を通じてのみ達成しうるという認識のもとにおいてである。教会を離れることは神の救済からも遠ざかることであった。 天井画にミケランジェロはカトリック的要素と人文主義的要素とを、視覚的に矛盾なく見えるように描き込んでいる。しかし、「非キリスト教的」人物を含むということは、対抗宗教改革に基づく、より宗教性の強い作品に親しみ、ルネサンス期の人文主義思想とキリスト教思想の合理化と無縁だった人々にとっては、教義上の矛盾と映ったかもしれない。 天井画のデザインの中心を構成するのは、『創世記』に基づく9つの場面である。9つの画面のうち、5つの小画面は枠取りがされ、それぞれ4体のイニューディ(青年裸体像)によって支えられている。これら9場面の下方、および礼拝堂の両端部には、キリストの誕生を預言した12人の男女(預言者と巫女)の像がある。礼拝堂の窓の上方の半月形壁(ルネッタ)にはキリストの祖先たちの像が描かれ、画面中には彼らの名前も書かれている。ルネッタの上の三角の帆形壁面(スパンドレル)にはさらに8つの人物群像があるが、これらの人物の素性は不明であり、今後の研究課題である。最後に、四隅の大きなペンデンティヴ(逆三角形壁面)には、聖書に取材したドラマティックな場面が表されている。天井画の図像的意味については過去にさまざまな解釈が行われ、現代の研究者たちによる解釈が対立している要素や、解釈不能の要素もある。ミケランジェロ自身の精神的、心理的状態が天井画の図像的特色や絵画的表現にどのように反映しているのかという問いも研究者の関心の的である。
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