イニューディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 18:29 UTC 版)
「システィーナ礼拝堂天井画」の記事における「イニューディ」の解説
イニューディ(単数形は「イニュード」)は、中央の天井画(創世記の場面)9面のうち、5つの小画面の四隅を支える者としてミケランジェロが描いた、20名の筋肉質の男性裸体像である。これらの像は、ピンク色のリボン、緑色のクッション、大きな樫の実の花冠など、さまざまな物を持ち、あるいは身につけ、もたれかかっている。樫の実はミケランジェロのパトロンであるユリウス2世の家系(デッラ・ローヴェレ家)のシンボルであり、ラファエロ作のユリウス2世像の椅子の柱頭飾りにも用いられている。 イニューディはすべて座るポーズであるが、前述のキリストの先祖たちの像とは異なり、のびのびとした姿勢で描かれている。各スパンドレルの上部に単色で表された一対の男性像および女性像が左右対称の同一ポーズを取るのに対し、イニューディたちのポーズは1体1体すべて異なっている。最初の頃に描かれた(入口に近い側の)イニューディは2体ずつがペアになり、バリエーションをつけつつも似たようなポーズをしている。バリエーションは後の方で描かれたものほど大きくなり、最後に描かれた4体(「光と闇の分離」の周囲に描かれる)では、各像のポーズには他の像との関連性が全くない。これらイニューディにおいては、ミケランジェロの解剖学と短縮法に対する習熟と、驚くべき創造力が天井画の他の像にもまして発揮されている。 これらの裸体像が何を表しているかは、いまだによくわかっていないが、「人間は万物の基準である」という古代ギリシアの思想を受け入れた人文主義的発想に合致したものであることは確かである。これらの像の存在と、その裸体であることは多くの批評家の怒りを招いた。中でも教皇ハドリアヌス6世は、天井画を「裸体のごった煮だ」と評し、天井からはがしたいと考えていた。 しかし、ミケランジェロは聖書に精通していた。彼は、熾天使(セラフィム)や智天使(ケルビム)は翼のある者として聖書に言及されているが、天使(エンジェル)はそうではなく、人間に似た者とされているという事実に気付いていたかもしれない。ミケランジェロが後に祭壇壁の『最後の審判』を描いた時、多くの(翼のない)天使を描いている。特にルネッタの、キリストの受難の象徴である十字架を運ぶ天使たちの場面がそうであり、死者を呼び起こすためにラッパを吹いたり、救われる者と呪われた者たちの名前が書かれた書物を示したり、罪ある者たちを地獄へ墜とそうとしている天使たちもいる。『最後の審判』には40体以上の天使が含まれるが、これらは皆、天井画のイニューディとよく似ている。 イニューディについては「人間の完全性」よりは「天使」を表現したものと結論づけることが妥当である。それは、天井画の表す最大のメッセージは、人類の苦難と堕落ということだからである。つまり、神と人との約束の必要性を述べているのである。モーセを通じてのイスラエルの子らに対する古い約束(旧約)と、救世主イエスを通じての新しい約束(新約)については、すでに礼拝堂の側壁に描かれている。イニューディが実際に天使だとするならば、彼らは神のもとに常に仕える侍者であり使者であって、人類の運命を冷厳に見守り待ち受ける者たちなのである。
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