制作意図 ―《互いの御影》とは? わかりやすく解説

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制作意図 ―《互いの御影》

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)

神護寺三像」の記事における「制作意図 ―《互いの御影》」の解説

更に願文検討して三像が描かれ状況背景考察に移る。願文日付23日で、これは尊氏直義母上杉清子の月命日に当たり、願文1年直義は同じ23日高野山金剛三昧院寄進していることから、二像の寄進は母の菩提を弔うためだと考えられる黒田当時の政治状況から推測進めてこの頃室町幕府における尊氏直義兄弟二頭政治綻び見られ、母・清子はそれに心を痛めてながら亡くなった。そこで直義は母の願い聞き届け二頭政治継続する政治的意志込めて対の肖像奉納した想定する。 しかし、直義が対の肖像画奉納するというアイデア自分思いつくのは困難で、それを教示示唆した人物がいるはずである。そして、それは直義交流深かった夢窓疎石しか考えられない。そこで、願文前年出版された、足利直義質問し夢窓疎石がそれに答えた問答集『夢中問答集』に着目する。その第91段に解脱上人貞慶が、達磨寺達磨大師聖徳太子の対の肖像安置した話や、更に第7段には、弘法大師描いた八幡大明神像と、八幡大明神弘法大師描いた対の肖像画《互の御影》が、ほかならぬ神護寺安置され逸話記されている。この《互の御影》は現存しないが、やはり神護寺にある鎌倉時代写しはほぼ神護寺三像と同じ大きさであり、平安から鎌倉時代作られ弘法大師像もこれらに近い大きさである。なお、こうした祖師像は賛文を伴わないのが普通で、三像に賛文がないのも、賛文が伴うことが多い武家肖像画系譜ではなく祖師像連なるためだと考えられるまた、中世聖徳太子信仰が盛んであり、弘法大師太子後身生まれ変わり)とされ、疎石直義戦乱の世を鎮め太子政治手本として仏法興隆するよう強く期待していた(第17段)。直義もこの疎石期待応え全国安国寺利生塔建立している。他方八幡大明神は、武神源氏の氏神であり、二頭政治において武力担当し源氏棟梁である尊氏自然と重なる。 これらの理由から、伝平重盛像は尊氏八幡大明神ダブルイメージ、伝頼朝像は直義弘法大師聖徳太子のトリプルイメージが投影されており、両像は二頭政治体現し南北朝の動乱時代衆生を導くために顕現した八幡大菩薩尊氏と、仏法をもって世を治め聖徳太子弘法大師)・直義表象した新たな《互の御影》として、神護寺奉納されたと考えられる言い換えれば二頭政治聖化した肖像画であり、だからこそ二頭政治尊氏から義詮交代した際に足利義詮像も作られた。三像に他の俗人肖像画見られない荘厳さが感じられるのは、その大きささる事ながらこうしたイメージ操作があるからである。なお、安置する目的自体変更はないため、新たな願文作られなかったと見なせる。そして、直義の死とともに記録から忘れ去られた三像は、近世になって周知の源頼朝の像となって出現するのである

※この「制作意図 ―《互いの御影》」の解説は、「神護寺三像」の解説の一部です。
「制作意図 ―《互いの御影》」を含む「神護寺三像」の記事については、「神護寺三像」の概要を参照ください。

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