深井村とは? わかりやすく解説

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深井村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 04:19 UTC 版)

ふかいむら
深井村
廃止日 1942年7月1日
廃止理由 編入
鳳町浜寺町踞尾村八田荘村深井村東百舌鳥村堺市
現在の自治体 堺市
廃止時点のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
泉北郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,973
(1935年)
隣接自治体 堺市、東百舌鳥村東陶器村久世村八田荘村踞尾村
深井村役場
所在地 大阪府泉北郡深井村大字深井
座標 北緯34度31分42秒 東経135度29分55秒 / 北緯34.528312度 東経135.498724度 / 34.528312; 135.498724座標: 北緯34度31分42秒 東経135度29分55秒 / 北緯34.528312度 東経135.498724度 / 34.528312; 135.498724
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深井村(ふかいむら)は、かつて和泉国堺県大阪府にあった。現在の堺市中区深井各町と土塔町に相当する。1935年時点の村の規模は762戸、3,973人。

歴史

  • 757年和泉国大鳥郡の中に常凌郷が、深井の前身として古文書に記される。
  • 759年:土師郷の大野寺の寺域内に土塔を築造する。
  • 1471年:文書で初めて深井郷の文字が記される。
  • 1511年細川高国細川政賢の軍勢が泉州深井で戦う。
  • 1591年:緞通(絨毯)が中国から伝わる。
  • 1645年:深井郷が北村、中村、南村、安村に分かれる。
  • 1669年 - 1672年:大鳥郡深井村の荒地に畑山新田(現・深井畑山町)が開発される。
    • 深井新家、帯屋新田とも呼ばれた。
  • 1673年 - 1681年:大鳥郡土師村の荒地に土塔新田(現・土塔町)が開発される。
    • ただし、土塔新田の村役は土師村ではなく深井村が務めた。
この後、北村は北深井(現・深井北町)、中村は中深井(現・深井中町)、南村は中新田(現・深井水池町、深井東町)に名を変え、安村は清水村(現・深井清水町)と沢村(現・深井沢町)に分かれる(時期は不明)。

関連項目




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