深井清華とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 深井清華の意味・解説 

深井清華

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/16 01:31 UTC 版)

深井 清華 / 深井 静馬 (ふかい せいか / ふかい しずま、文政10年〈1827年1月15日 - 明治21年〈1888年〉年9月23日) は、吉田(豊橋)藩の家老深井藤右衛門資敬の子として生まれた歴史上の人物[1]

深井家は、藩祖松平伊豆守信綱生母の里方にあたるので、藩士の中では格別の家柄で、禄高700石、代々吉田藩の重職を務めてきた。清華は雅号で、名は静馬、資生、諫雄と改名した。

天保15(1844)年使番を手始めに、文久2(1862)年家老、明治2(1869)年の版籍奉還では権大参事となり、明治維新の難しい吉田藩政を支えてきた一人であった。下岡連杖に師事して写真術を学び、豊橋で最初の写真店を開業した。大手門前の屋敷の2階を撮影場として開業したという。

また、能楽でも太鼓の名手として知られ、自ら屋敷内に能舞台を設え、能楽の保存に努めた。さらに、渡辺小華とも親交があり、小華が百花園に在住した期間は大河戸晩翠・森田緑雲・植田衣州らとともに画業に励み、高弟の一人に数えられた。明治21(1888)年9月23日、没した。

関連項目

出典

  • 豊橋百科事典
  • 大名行列人系図 家老深井静馬 大名御本陣 役職人名全員数100余[要文献特定詳細情報]

脚注

  1. ^ 深井清華 とは(豊橋百科事典より)” (日本語). 愛知豊橋市長坂なおと のblog. 2022年9月9日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  深井清華のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「深井清華」の関連用語

深井清華のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



深井清華のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの深井清華 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS