奈良時代・平安時代の郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/12 18:04 UTC 版)
『倭名類聚抄』が宮城郡の郷を列挙する中に見える。多賀郷は多賀城と同じ地名を持つが、この由来には二説ある。一つは、常陸国の多珂郡(後に多賀郡)に由来し、その地からの移民が中心になって作った郷だとするもの。多賀城の城外の町からは「多珂」と書かれた木簡が出土ている。もう一つは、多賀(たが)と多珂(たか)は異なる地名で、多賀はめでたい意味で付けられた瑞祥地名だとする説である。 一時的だが、陸奥国には郡司を欠く権郡(臨時の郡)として多賀郡が置かれ、延暦4年(785年)4月7日に正規の郡になった。存続期間は不明だが、その間多賀郷は多賀郡に属したと考えられる。
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