梁思成とは? わかりやすく解説

梁思成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 14:30 UTC 版)

梁 思成(りょう しせい、1901年4月20日 - 1972年1月9日)は中華人民共和国建築史家建築家。兵庫県神戸市生まれ[1]。中央研究院院士、中国科学院哲学社会科学学部委員。


注釈

  1. ^ 京都や奈良が(大規模な)爆撃を免れたことについては、米美術史家ラングドン・ウォーナーの功績との説(本人・研究者ともに否定)のほか、フランスではルノンドー将軍フランス語版の進言という説も流布されている[8]
  2. ^ この説については、梁思成が進言したことを示す物的証拠は全く見つかっておらず、麻田貞雄平川祐弘秦郁彦等の学者らはこの説に疑義を呈し銅像の建立に反対した。当時のアメリカが海外の一研究者の進言で戦略を転換することは考えにくく、現実にも京都は原子爆弾の投下候補地に入っており、戦争がもう少し長引けば京都が核にさらされる可能性は高かった(日本への原子爆弾投下#第三の原子爆弾投下準備を参照)。奈良は軍事施設や工場が少ないなど、戦争当時も空爆の危険は少ないとされていたが、仮に進言が事実だとしても、実際には京都と奈良には空爆がなされており、数百名の死者が出ている(京都空襲奈良空襲を参照。)。

出典

  1. ^ a b c d e f 倉沢・李(2007)pp.80-82
  2. ^ a b c Liang Sicheng: Father of modern Chinese architecture”. チャイナデイリー (2012年1月30日). 2019年10月8日閲覧。
  3. ^ Full title: "Suggestions on the location of central government district" (《关于中央人民政府行政中心区位置的建议》),Liang Sicheng, Chen Zhanxiang
  4. ^ Lin, Zhu (林洙) (2004). 梁思成林徽因与我 (in Chinese). Tsinghua University Press. p. 205. ISBN 978-7-302-08676-5.
  5. ^ Liang, Sicheng; Chen, Zhanxiang (1950). 《关于中央人民政府行政中心区位置的建议》 [Suggestions on the location of central government district].
  6. ^ 《城记》王军 2003 三联书店
  7. ^ 林洙 《中国营造学社史略》 第48页
  8. ^ 平川祐弘 「日本人の安易な感謝癖と謝罪癖」 『産経新聞』 2010年9月27日


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