日本の古都の恩人説と銅像建立問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 14:00 UTC 版)
「梁思成」の記事における「日本の古都の恩人説と銅像建立問題」の解説
戦時中、京都と奈良の歴史的建造物を守るため、米軍に空爆をしないように進言したという中国発の説がある。京都や奈良が(大規模な)爆撃を免れたことについては、米美術史家ラングドン・ウォーナーの功績との説(本人・研究者ともに否定)のほか、フランスではルノンドー将軍(フランス語版)の進言という説が流布されているが、梁思成の弟子で中国文物学会名誉会長の羅哲文らは「梁から聞かされた」として梁の功績を主張している。 2008年にこの説に基づいて、奈良県に中国の政府系機関の「中華社会文化発展基金会」から日中友好協会と薬師寺を通して「古都を救った大恩人」として梁思成銅像を寄贈する打診があり、平山郁夫が顕彰会を設立し日本人から寄付金を募り奈良県文化会館に銅像を設置する動きがあった。2010年6月には日中友好の証として平城京遷都1300年祭にも合わせて、北京の中国国家博物館で中国人民政治協商会議の孫家正副主席、清華大学の顧秉林学長、元中国大使の阿南惟茂、窪田修奈良副知事、梁思成の親族らが出席して大々的に記念式典が行われた。しかし「史実かどうか極めて疑わしく中国の対日世論工作の疑いがある」との600件余りの抗議が県に寄せられ、2010年9月の尖閣諸島中国漁船衝突事件により日中関係も悪化していたため、2010年12月に計画は中止された。同月時点で顕彰会は解散し寄付金の返還が始まっている。 この説については、梁思成が進言したことを示す物的証拠は全く見つかっておらず、麻田貞雄や平川祐弘、秦郁彦等の学者らはこの説に疑義を呈し銅像の建立に反対していた。そもそも当時のアメリカが海外の一研究者の進言で戦略を転換することは考えにくく、現実にも京都は原子爆弾の投下候補地に入っており、戦争がもう少し長引けば京都が核にさらされる可能性は高かったし(日本への原子爆弾投下#第三の原子爆弾投下準備を参照)、奈良は軍事施設や工場が少ない等、戦争当時も空爆の危険は少ないとされていた。また仮に進言が事実だとしても、実際は京都と奈良に空爆は行われ数百名の死者が出ている(京都空襲、奈良空襲を参照。)為、この点においては梁の成果は存在しない。
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