関野聖雲とは? わかりやすく解説

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関野聖雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/19 09:37 UTC 版)

関野 聖雲(せきの せいうん、1889年明治22年〉5月2日 - 1947年昭和22年〉10月28日)は、日本の仏師彫刻家高村光雲弟子。本名は関野金太郎[1]

生涯

神奈川県愛甲郡小鮎村(現在の厚木市小鮎)の大工の家に生まれる。数え16歳で高村光雲の弟子となる。1906年4月、東京美術学校彫刻科選科に入学し、1911年3月卒業する。在学中の作品「白拍子」が母校に買い取られた[2]

1913年の第三回東京勧業展覧会において作品が宮内省御用品となる。1915年、第9回文展に初入選。それ以来毎年入選し、文展帝展で活躍した。1921年3月17日、東京美術学校の助教授となり、後に教授となる。1944年の退官まで後進の指導に尽力した[3]

昭和22年10月28日、国立博物館講堂に於いての第3回日展審査報告会の際、第三部主任として報告中、卒倒し死去。享年59才[4]。墓所は台東区谷中の海蔵院にあり、聖雲自身が1926年7月に建立したものである。墓石に刻まれた家紋は丸に三つ柏

作品

など

脚注

  1. ^ コトバンク 関野聖雲
  2. ^ 竹中大工道具館 彫刻家関野聖雲の道具
  3. ^ 東京藝術大学 関野聖雲履歴
  4. ^ 東文研アーカイブデータベース 関野聖雲



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