甲斐文融とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 甲斐文融の意味・解説 

甲斐文融

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 19:36 UTC 版)

甲斐文融
魚藍観音

甲斐 文融(かい ぶんゆう、号 : 古璋、大正9年(1920年3月15日 - 1997年12月26日)は、日本画家曹洞宗僧侶(大分県中津市崇禅寺の13世住職)。白日会会員で油彩日本画彫刻をよくした。

略歴

大正9年、大分県宇佐市清水の清水寺に生まれる。地方画家であった祖父、叔父の絵画を見、また兄の作画する姿に接し、幼少時より絵画に憧憬を抱く。その後、兄から自分の果たせなかった夢を託され、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科に進学し、小林萬吾南薫造伊原宇三郎石橋犀水川崎小虎、矢澤弦月、関野聖雲に学び、1941年に卒業した。

1948年の創元展に「渓流」が初入選。1951年には「石彿」により受賞。また大分県展にも出品して中津市長賞、別府市長賞、K氏賞を受けている。その後光風会展、白日展に出品。

その間、彫塑により仏像(3.38メートルの不動明王坐像、2.2メートルの地蔵尊像等)を制作、観音文殊普賢涅槃図等の仏画も描いたほか、書(漢)も手掛けた。

佐竹徳宮本三郎を敬愛していた。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「甲斐文融」の関連用語

甲斐文融のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



甲斐文融のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの甲斐文融 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS