飛鳥浄御原令とは? わかりやすく解説

飛鳥浄御原令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/28 01:54 UTC 版)

飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)は、日本飛鳥時代後期に制定された体系的な法典。令22巻。律令のうち令のみが制定・施行されたものである。日本史上、最初の体系的な律令法と考えられているが、現存しておらず、詳細は不明な部分が多い。


  1. ^ 律の条文をバラバラに摂取するだけでは律法典の編纂は不可能であり、唐律全体の伝来とそれを日本の国情に合わせられる人材がいなければ、律の制定は不可能であったとする指摘がある(榎本淳一「〈東アジア世界〉における日本律令制」大津透 編『律令制研究入門』(名著刊行会、2011年)所収)。


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飛鳥浄御原令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:59 UTC 版)

律令制」の記事における「飛鳥浄御原令」の解説

詳細は「飛鳥浄御原令」を参照 天智天皇死後壬申の乱より政奪取した天武天皇は、軍事政治最優先項目に置き、専制的な政治推進していった。主要な政治ポストには従来豪族ではなく皇子をあてて、その下で働く官僚たち登用考課選叙など官人統制に関する法令整備していった。こうした流れは、体系的な律令法典制定へと帰着することになり、681年天武天皇律令制定を命ずる詔を発出した。天武天皇生前律令完成しなかったが、689年持統天皇時代に令が完成施行された。これが飛鳥浄御原令である。この令は、律令制本格施行ではなく先駆的施行したものと考えられている。令原文現存していないので、詳細判明していないが、戸籍6年1回作成すること(六年一造)、50戸を1里とする地方制度班田収授に関する規定など、律令制骨格がこの令により形成されたと考えられている。また、在判明している範囲では浄御原令官制などの制度は、南北朝時代や隋の中国制度百済新羅などの朝鮮半島制度織り交ぜられたものと考えられている。 律は制定されなかった。その理由としては、高度な体系性を必要とし、また隋律あるいは唐律はまだ日本伝来せず準備不足だったと考えられている。 日本で律が編纂されるようになるには、唐との関係改善によって唐からの律法典が招来され、それを理解して日本国情合わせて改編できる人材の確保(唐留学生帰国唐人来日)を待たねばならなかったと推定されている。

※この「飛鳥浄御原令」の解説は、「律令制」の解説の一部です。
「飛鳥浄御原令」を含む「律令制」の記事については、「律令制」の概要を参照ください。

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