律令法典とは? わかりやすく解説

律令法典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/22 23:47 UTC 版)

日本法制史」の記事における「律令法典」の解説

律令法典は7世紀後半天智朝に近江令編纂されたと伝わる。ただし、この所伝を疑問視する学説も有力である。最初の令として確実なのは、681年天武10年)に編纂着手し 689年持統3年)に施行され飛鳥浄御原令がそのはじめのものとなる。しかし、同令は未熟なものであった体系的な律令法典は701年大宝元年)に制定施行され大宝律令である。その後718年養老2年)頃大宝律令修訂した養老律令編纂され 757年天平宝字元年)に施行された。大宝律令施行短期間だが養老律令修訂字句修正などの小幅改訂とどまり日本の律令法は大宝律令制定施行をもって本格的に始まったといえる。そしてそれは時代により強弱違いはあれ以後ながく日本国制規定したであった。 律令法典そのもの編纂養老律令終わった律・令条文修正する格および律・令施行細則としての式は律令法施行期間を通じて単行法令として随時発令施行された。 これらの格・式9世紀から 10世紀初めにかけて三代格式弘仁格式貞観格式延喜格式)としてまとめられたが。それらは、時代追いしだいに社会現実適応する日本的性格強くなる。また律令法そのものも法の適用および法解釈において現実適合的に運用されるようになっていった。明法博士大学寮法律学である明法道教授していた教官役割も、大学寮自体衰微もあって次第天皇太政官諮問受けて律令格式解釈である明法勘文作成を行うことが主となっていく。 そうしたなかから平安時代中期以降公家社会の法としてのいわゆる公家法生まれてくる。そしてこの公家法母体として荘園領主領主法である本所法在地領主武士の法である武家法誕生し、やがて中世法世界移行するのである

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律令法典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:59 UTC 版)

律令制」の記事における「律令法典」の解説

社会規範規定する刑法的な律と社会制度規定する行政法的な令が中心的な位置占め律令の不足を補う改正法としての格および律令と格の施行細則としての性格を持つ式が一つ法体系、即ち律令法典を構成していた。

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