基本制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:59 UTC 版)
律令制は、概して次の6つの制度が統治の根幹となっていた。 日本では、大化の改新を起点に律令国家を目指した。 一律的に耕作地を班給する土地制度 班田収授制(班田制)として施行された。国家が保有する耕作権を人民へ貸与した(班給)。日本では土地の班給が重視されていた。 租税制度 租庸調制として施行された。班給田からの収穫物は、国家に治める定められた税と自らの食料とへ当てた。 実際は地方氏族制による律令制以前のチカラ・ミツキ・タチカラの慣行の上に成立し、地方豪族は天皇の祭祀と宗教的な力に期待して捧げものとして納め、祖先と神々に奉納して収穫に感謝し、今後の豊作を祈り、国家の安寧を祈ったものである。 貨幣制度 皇朝十二銭が発行されたが、後述のとおり、日本においては定着しなかった。 人民を把握するための地方行政制度 伝統的な氏族制を認めて整備する形で、郡(実際は評)里制を採用した。国の支配の基礎は郡司として取り込む形式で地方豪族の民衆支配があり、天皇・朝廷の民衆支配は二次的なもので、律令国家の支配制度は虚構ともされる。任命されたこの制度の下で、班給・課税・徴兵の台帳となる戸籍・計帳の作成が可能となった。逆に言えば、戸籍・計帳の作成によって、上記の三制度の実施が可能となったのである。 官僚制、国制組織 日本では官位のうち人につく位が重視され身分を示すのは位階であり、位階が秩序として天皇との距離として優先する。これは官職が位を持ち重視される中国と大きく異なる。さらに、中国に倣い蔭位の制という例外規定を設けたが、初任段階で貴族扱いとなる基準の父祖の位は5位と極めて高位だった。5位以上の貴族の子弟は21歳で自動的に継承する官職が与えられ、貴族制的な要素が強く、5位以上の官人は、畿内の中央氏族や地方の伝統的な有力氏族が、独占していた。また国家組織としては2官8省制だが、唐では皇帝が発勅する命令は、太政官の発議となっていて、極めて権限が強く、太政官・議政官の合議で上奏する形式で天皇の権力を抑え、国家権力を先述した5位以上の畿内貴族層で掌握し、地方豪族を支配し伝統的な大和政権の構成を継承していた。 兵役が課せられる軍事制度 軍団制として施行された。耕作地班給の代償として兵役の義務を負ったのである。ただし、東国(関東)ばかりが防人の兵役義務を負っていたなど、一律的に兵役が課されていないという実態があった。 以上の5制度を実施するために、律令国家として、中国の律令から一部改訂した律令法典が整備された。 律令法典 社会規範を規定する刑法的な律と社会制度を規定する行政法的な令が中心的な位置を占め、律令の不足を補う改正法としての格および律令と格の施行細則としての性格を持つ式が一つの法体系、即ち律令法典を構成していた。 この他、中央と地方の情報伝達を遅滞なく行うための交通制度(駅伝制)なども、律令制を構成する制度として採用された。 周辺の東アジア諸国では、中国の服装や役職制度は取り入れたが固有法のままで、かつて654年に導入されたとされていた新羅でも律令は参照して、独自の国法を整備する形であった。
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