飛鳥浄御原宮「エビノコ大殿」
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「大極殿」の記事における「飛鳥浄御原宮「エビノコ大殿」」の解説
『日本書紀』には、681年(天武10年)2月、天武天皇と皇后(のちの持統天皇)は諸臣を「大極殿」に召し、飛鳥浄御原令の制定を指示したという記事がある。ここで「大極殿」という殿舎の名があることに注目するのが、冒頭に掲げた福田・小澤・渡辺らである。 飛鳥浄御原宮の所在地は、近年の調査成果では、飛鳥京跡の上層遺構をあてるのが通説となっており、浄御原宮は、後飛鳥岡本宮の内郭に東南郭を加えて完成したとされている。東南郭は所在する字名より通称「エビノコ郭」と呼ばれる一郭であり、そのなかから大規模な正殿の跡を発見している。これが通称「エビノコ大殿」である。渡辺晃宏は、この大殿こそ、『日本書紀』記載の大極殿の可能性が高いとしている。 なお、飛鳥京跡上層遺構からは「前殿」と称される東西建物跡2棟が検出されており、これが飛鳥浄御原宮にともなう朝堂相当施設ではないかとされている。ただし、「エビノコ郭」南側には飛鳥川が間近に迫っていることから、広大な朝庭を確保することは困難であったろうと考えられる。
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