天皇号の成立年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 20:54 UTC 版)
「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」の記事における「天皇号の成立年代」の解説
天皇号の成立年代について大山誠一は、「天皇号における今日(1996年)の通説的理解は、1967年の渡辺茂の説で、日本における天皇号は、持統朝(在位・690年 - 697年)が天武朝(在位・673年 - 686年)に対して使用したのが最初であり、それは、上元元年(674年)に唐の高宗が使用した天皇の称号が伝わったものである。(趣意)」と述べている。 東野治之はこの渡辺の説に大筋で賛意した上で、いくつかの補強をし、「飛鳥浄御原令において「大王」に対応する「大后」が「皇后」と改められたのであるから、天皇号もこの時期に正式に成立したと考えられる。」と述べ、さらに、「天皇号は、あるいは浄御原令の編纂が始まり、その大綱もほぼ定まったと考えられる天武末年には使用されていたと考えてよいかも知れない。」と述べている(飛鳥浄御原令の編纂は、天武天皇10年(681年)2月から始まり、持統朝において施行された)。 以上のように、天皇号の成立年代は渡辺と東野の学説以後、ほぼ天武朝ないし持統朝とみるのが定説となっていた。が、1998年3月、飛鳥池遺跡(奈良県明日香村)より「天皇」と記された木簡(以降、天皇号木簡と称す)が出土し、注目を浴びた。この天皇号木簡に年紀はないが、300点近くの伴出木簡の中に、「庚午」(天智天皇9年(670年))・「丙子」(天武天皇5年(676年))・「丁丑」(天武天皇6年(677年))の年紀を有するものが存在する。これについて西野誠一は、「天皇号木簡も天智朝(在位・668年 - 672年)末から天武朝初頭頃のものである可能性が高いのではあるまいか。この発見によって、天皇号成立をめぐる研究がさらに深化するものと思われる。」と述べている。 そして西野は、その天皇号木簡に基づき、「天皇号は唐から伝わった」とする渡辺の説を否定している。その論法は、「天皇号木簡を伴出木簡の中で一番後の677年のものと同時期と考えた場合、唐における天皇の使用開始が674年であることと、この時期は遣唐使の派遣がないことから、この短い年月で天皇号が唐より輸入された、あるいはその影響のもとに採用されたと考えるのは、問題の重大さを考える時、いささか無理があるのではなかろうか。(趣意)」とし、さらに、「中国において「天皇」に対応する后妃の号は「天后」であるが、「天皇」とあわせて成立した日本の后妃の号が「皇后」であることは、「天皇」が日本における独自の君主号として成立したことを示唆していよう。(趣意)」としている。
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