623年刻字の否定説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:43 UTC 版)
「法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘」の記事における「623年刻字の否定説」の解説
623年の刻字を否定する説の根拠としては、以下のことがあげられている。 「法興」という年号は存在しないから後代に書かれたものである。 「法皇」の語は、法王が天皇号の影響を受けたもので、後世に天皇号が成立した以後のものでなければならない(天皇号の成立年代については、法隆寺金堂薬師如来像光背銘#天皇号の成立年代を参照)。 「仏師」の語は、和製語で、その使用は正倉院文書によると天平6年(734年)以後である。 大山誠一は本銘文の成立時期について、上限を、天皇号によれば持統朝(在位・690年 - 697年)、仏師の語によれば天平6年(734年)とし、下限は『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747年成立)に釈迦三尊像の記録があることにより、天平19年(747年)としている。大橋一章は、推古朝に天皇号や「仏師」の語が存在しなかったとは断定できないとして、本銘文の推古朝成立を否定した笠井昌昭説を批判している。大橋は、正倉院文書以前の現存する文書資料自体が乏しく、その中に「仏師」の語が書き残される確率は低いことから、本銘文が「仏師」の語の使用の初例であっても不自然ではないとする。
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