語の使用
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語の使用傾向(ハーバードの方言調査より):ディープサウスでコカコーラが優勢である影響であろう、たいていの炭酸飲料は、コーラとは関係のないものでもcokeまたはcocolaと呼ばれる。Sodaは時々しか使われない。 食料雑貨店のカート(The push-cart)のことをbuggyと呼ぶ(一部ではjitneyやtrolleyとも)。 トンボやガガトンボについて"mosquito hawk"や"snake doctor"という言い回しを使用。(Diptera Tipulidae) "over there"(あそこに、あちらでは)や"in or at that indicated place"の代わりに"over yonder"を使用。特に"the house over yonder"のような特異な場所のことを言う時に使われる。加えて、"yonder"が"here"と"there"を超える三番目に大きい距離を表す度合として使われる傾向がある。これは、長く遠い道のり、大したことのない範囲、教会賛美歌中の"When the Roll Is Called Up Yonder"のような開かれた広い空間といったものを指す。("yonder"という言い方はイギリス英語では依然広く使われている) "goose bumps"に代わり"chill bumps"という単語を使用。
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語の使用
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日本史学界では内閣制度発足後間もない時期の記述においても「大命」「大命降下」という用語が用いられている。しかし同時代においては伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任した頃からしばらくの間「大命降下」もしくは「大命」という用語はほぼ使われていなかった。これは内閣の組織が総理大臣候補者自身ではなく、いわゆる元勲らの協議で行われていたためである。第2次松方内閣発足前ごろから、内閣総理大臣候補者に対して「内閣組織の勅命」が下される、またはそれに類似する用語が新聞報道等で用いられ始めた。 明治29年(1896年)9月12日の新聞『日本』の記事「準備松方内閣」において、「一昨日伯の参内は無論大命を御受するに就ての準備なりし」という表現が見られるが、ほとんどの新聞記事では「大命」という語は用いられなかった。 明治30年(1897年)12月に松方正義が辞意を申し出、明治31年(1898年)1月に第3次伊藤内閣が成立するが、この過程の報道で「内閣組織の大命」という表現が広く行われるようになった。明治34年(1901年)の第1次桂内閣組閣報道の頃には『東京朝日新聞』や『東京日日新聞』をのぞいてはほとんどが「大命」の語が主流となっていく。大正元年(1912年)の第3次桂内閣組閣時には「大命が降る」「大命降下」という用語が定着するようになった。
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