語の出典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 15:04 UTC 版)
中国の古典籍や『日本書紀』など、さまざまな古文献に見える。 中国最古の詩篇『詩経』の「大雅・文王篇」に「周雖旧邦其命維新(周は旧邦なりといえども、その命(めい)は維(これ)新(あらた)なり)」とあり、これが最古の用例とされる。 また『書経』の「胤征篇」にも「舊染汚俗咸與惟新(旧染の汚俗は咸(みな)与(とも)に惟(これ)新(あらた)にせん)」とあり、「咸與惟新」は成句として魯迅の『阿Q正伝』でも使われている。 一方、日本における最古の用例は『日本書紀』である。大化2年(646年)3月の記事に、大化改新の詔に応じた皇太子(中大兄)の言葉として「天人合應厥政惟新」とあり、「天も人も合應(こた)へて、厥(そ)の政(まつりごと)惟(これ)新(あらた)なり」と訓まれている。 この他、大同2年(807年)に斎部広成が編纂した『古語拾遺』の跋(「方今聖運初啓。照堯暉於八洲。宝暦惟新。蕩舜波於四海」)や藤原頼長の日記『台記』の久安6年(1150年)10月2日の記事(「終日無片雲又無風。衆庶歎美。同法験惟新焉」)にも「惟新」の二文字が見える。 また幕末の論客では藤田東湖が「維新」を愛用したことが知られている。天保元年(1831年)の日記『庚寅日録』の4月21日の条には「中興維新之責実在足下(中興維新の責、実に足下にあり)」、25日の条にも「去年以来国事維新百度将復(去年以来、国事維新百度も将に復す)」とあるなど、多用と言っていい頻度で用いられていたことが裏付けられる。
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